第9話
「幕間:決戦はクリスマス〜茶会は
メイドの矜持を賭けた戦いだ!〜」
季節は流れ十二月。クリスマス茶会のシーズンがやってくる。年に一度、メイド学科一年生が同学科の上級生をもてなす、王立ファルテシア学園の伝統行事だ。クリスマス茶会で試されるのは料理のスキル、そして給仕のスキルをはじめとした、メイドとしての基礎スキルに他ならない。
茶会の開催はクリスマス当日の一日限り。一年生各クラス計一〇組の教室にて開催される。一年生は先輩たちに振る舞う菓子や紅茶、食器や装飾品の調達、楽器の演奏等に至るまで、すべて自前でやらなければならない。
開催時間は六刻程度。上級生は各教室を回り、最も優れた茶会を開いたクラスに一票投じる権利を有している。二年生や三年生のメイド学科生は、茶会の賓客であると同時に審査員も兼ねているというわけだ。
だからして、茶会においては勝者となるクラスと敗者となるクラスが存在する。そう、これは単なる茶会ではない。メイドとしての矜持を賭けた、紛れもない戦いなのである——!
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そして、クリスマス茶会まで三週間と迫ったある日。ナナたち一年D組は、ようやく茶会の企画案がまとまったという段階にあった。他のクラスはとっくに準備をはじめている時期であるから、出遅れ気味のスタートいって差し支えない。
ではなぜ出遅れたのか? 企画案を決めるクラス会議が一向にまとまらなかったからである。その議事録を紐解いて曰く——。
「得票数を稼ぐ茶会にするためには?」
「普通のファルテシア式のアフタヌーンティーではつまらないね!」
「周りのクラスと何か違う趣向の茶会がいいのではないでしょうか?」
「他のクラスは王道っぽい雰囲気で固めている……ゆえに我々が征くのは覇道しかない!」
「異議なし!」
「じゃあ具体的にどんな茶会にしたいわけ?」
「ジョストカフェ。給仕が全員女甲冑騎士なんだ」
「却下」
「朝まで徹底討論! 大ドイツとの冷戦構造と我々のあるべき未来について」
「政治学の授業でやりなさいよそんなの」
「猫カフェ……やりたいな」
「犬カフェ!」
「馬カフェはどう?」
「あ、動物系は許可取れないと思います」
「じゃあ却下で」
「バカラカフェ」
「全員揃って停学になる気!?」
「エリザベート様直筆サインお渡し会」
「それだ!」
「これで勝ったぞ!」
「あんたたち茶会って主旨忘れてない!?」
……一事が万事このような調子である。まさに混沌そのものといった様子の議論は幾多もの紛糾や脱線を繰り返し、結論へ至る気配がまるでなかった。そんななか、決定案を発案したのはナナであった。
「このクラスにはいろんな国から集まったひとたちがいるから、みんなのふるさとの文化のいいところを合わせて新しいお茶会を作ったらどうかな、なんて……」
行き詰まった議論に限界を感じた級長が、「ナナさんの案に賛同する者は」と水を向けたのがきっかけだった。型破りな案に呆れる者もいた一方、自由な発想で茶会を提案したナナに賛同する者は多かった。企画案が決定した瞬間であった。
さて、企画が決まれば次は役割分担である。メニュー開発、当日調理担当、オペレーション作成、当日現場監督、音楽担当、食器、内装担当、予算管理、広報。やるべきことは多岐に渡る。
メニュー開発と当日調理担当については、料理に長けたニコルとカエデに満場一致で決定した。
「あの二人以外ありえないよね」
「料理研究会若手のホープ」
「これは勝ったな……」
など皆が好き勝手に発言し、ニコルとカエデは照れながら受諾した。
オペレーション作成と当日現場監督についてはリンに決まった。これも満場一致の決定だ。先のジョストの決闘において、きわめて優秀な軍師であることが知られていたからである。
「他のクラスに勝つための秘策があります。皆さん期待していてください!」
と言い切るリンに、「おー」と万雷の拍手が浴びせられる。
そして、音楽担当はエリザベートに決定した。賓客を迎える場において音楽は欠かせない。そのため、優れたバイオリンの演奏技術を持つエリザベートを皆が揃って推薦したのである。さすがは学園のスター。すさまじい人気ぶりである。
続いて、食器や内装などの準備担当の立候補を募る段になった。
「生徒の経済状況によって不公平が生じないよう、準備資金は学園側が用意してくれますが、当然その金額は限られています。予算についてはできるだけ食べ物や飲み物の準備に割きたいですね。予算削減策も兼ねて、内装はペネロペさんが美術部で制作してきた絵画や彫刻を用意してはどうでしょうか?」
「作品を見て貰える場を用意して貰えるのは嬉しいね。願ってもない提案だよ」
リンの意見をペネロペが受諾し、その他ジュリアを含む数名が食器や内装の準備担当に選ばれた。彼女たちは、当日菓子類の盛りつけや皿洗いなどのオペレーションを執り行うことになることも決まった。次は予算管理の担当だ。
「いちばんケチで細かいところにうるさい人がいいのでは?」とリンが言うと、
「じゃ、リサに決まりだ」とペネロペが応じた。
「確かに」
「適任だ」
「異議なし!」
皆が賛同の意を表すると、「うっさいわね!」とリサが応じた。何だかんだ言いつつも内定である。
そして広報——ここが重要な役どころだ。クリスマス茶会の開催時間は限られている。上級生たちは一年生の各クラスを自由に見て回ることができるが、しかしどれだけ素早く各教室を回ったところで、全クラスを回る時間はない。
ここで広報の重要性が発揮される。上級生たちに「行きたい」と思わせることができれば、より優先的に回って貰える確率が高まり、得票数を集められる可能性が高まるのだ。
「戦いは茶会の以前から始まっています。ここは私に任せてください」
眼鏡をキラリと光らせたユスティーナの一言で、広報担当が決定した。学園新聞気鋭の記者による立候補である。却下する理由など何もなかった。
その他、ホールでの給仕係と食材や茶葉の調達係には多数の立候補があった。そこでナナも手を挙げる、が——。
「あんたは全体監修も兼ねるべきじゃない? そもそも発案者なんだし」
「え?」
「それもそうですね。ナナ・ミシェーレ総監督ということでお願いします」
「え? えええ?」
リサとリンの言葉にナナが困惑の表情を見せていると、「よっ、総監督! かっこいい!」とペネロペが悪ノリで応じてくる。その場の雰囲気でナナが総監督に任命された瞬間であった。
「茶会での評価項目は味、装飾、サービス、統一感の四点です。これらの観点から高評価を得られるものになるよう、総監督として尽力をお願いします」
それから当日までの三週間は「慌ただしい」という形容では済まないほどの忙しさだった。特にニコルとカエデは、寮の調理場を借りて毎晩遅くまでメニューの考案に勤しんでおり、そこには各国出身のクラスメイトたちが代わる代わる参画した。
フランス出身のナナとリサ、イタリア出身のエリザベート、清(中国)出身のリン、ロシア出身のユスティーナ、などなど。各国の文化を融合させるにあたり、その国の菓子や料理とお茶が合うかどうか、どうアレンジすべきかなど、さまざまな議論が交わされた。
一方でナナは「総監督」として各担当間を駆けずり回り、自分のイメージした茶会を実現させるため、尽きることのない調整に追われることとなった。「総監督」というよりは体の良い「調整係」ではないかという疑問がつきまとったが、しかし準備期間は短く、ともかくやるしかない状況には相違なかった。
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そして当日——メイド学科一年D組の教室前には長蛇の列が形成されるに至っていた。それはなぜか。入学早々に決闘をかました一年生たちがいるということで、ナナたちのクラスは上級生たちから大いに注目されていたからである。
影で暗躍したのは広報担当のユスティーナだった。クリスマス茶会までの期間、彼女は茶会そのものの広報より、学園新聞においけるナナとジュリアの決闘についての特集記事掲載に注力した。『あの世紀の決闘を当事者たちが振り返る——ナナ・ミシェーレ陣営とジュリア・エインフェリア陣営、ロングインタビュー三週連続掲載』と題された号は学内で飛ぶように売れ、一年D組の注目度向上へ大いに寄与したのである。
さて一方で、引っ切りなしに訪れる上級生たちにナナたちはフル回転で対応しなければならなかった。
「三番卓さん、ジャスミンティーセットと点心を三人前! それから十二番卓さんにダージリンセットとスコーン、チョコレート、アミューズお願いします!」
「こっちは八番卓に追加のロシアンティーとサンドイッチ、あとデザートね!」
廊下を渡ったところにある実習用厨房へ入るなり、ナナとリサがオーダーの書かれたメモの内容をニコルたちへ向けて大声で告げる。実習授業で使われる巨大な厨房を各クラスの皆が使っているため、多くの者が行き交うそこは、さながら戦場といった趣だった。
ニコルはD組調理係のリーダーとして八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せており、メンバーからの篤い信頼のもと、厨房内で冷静かつ適切な指示を下している様子だった。「そこ、焼き加減に注意して!」「次スコーン、生地持ってきて!」など簡潔に指示を飛ばし続ける彼女の様子は、普段の大人しい雰囲気からは想像もできない凜々しさであって、ナナとリサはちょっとだけびっくりしたものだった。
「空席待ちの列が短くなっています。少しだけ客足が落ちてきましたね。B組の『執事茶会』の勢いが我々を上回ったようです」
厨房へ入ってきたリンがナナたちに告げた。先の決闘でもそうだったが、彼女はとにかく勝利にこだわる。給仕係が全員男装して上級生たちをもてなすB組の『執事茶会』が優勝候補筆頭であると、ユスティーナから事前に情報を得ていたリンは、それに少なからぬ対抗心を燃やしているようだった。
ナナとしては「せっかくの行事、皆でひとつの素敵な思い出が作れればそれでいいのでは……?」と思うところではあったのだが、しかしリンの想いが伝播したのか、クラスの皆は「B組に勝つ」という想いを胸に当日のオペレーションへ励んでいる次第だった。
「勝つための秘策があるって言ってたよね? そろそろ開示して貰ってもいい頃合いだろう?」
皿洗いをしていたペネロペがリンの方を振り返って言った。皆も同意見のようで、リンへ一斉に注目が集まる。
「そうですね、いよいよ秘策を実行する段がきたようです……。カエデをしばらく借りても構いませんか?」
「え、わ、私?」
唐突な指名に、調理場へ立っていたカエデがびっくりしたような声を上げる。驚いた小動物めかしてビクッと震えるその仕草は、いかにも彼女らしい。
「細かい話はあとです。さ、こちらへ」
「????」
そう言うなり、リンはカエデの手を引いて厨房の外へ行ってしまった。
「カエデちゃんが調理係から抜けちゃったから……代役は……」
ニコルが一瞬だけナナの方へ視線を向けたが、何かを悟ったかのように目線を逸らした。ナナの料理の腕が壊滅的であることを思い出したためである。
「リサちゃん、おねがい」
「はいはい、ニコ料理長たっての頼みですもの。断れるはずがないわ——ってナナ、あんた何突っ立ってんの。ホールに戻って私の分まで働くのがあんたのミッションよ。ゴーゴー!」
半ば追い立てられるようにして厨房を後にしたナナは、小走りで教室に戻っていった。確かにリンの言う通り、空席待ちの列は茶会開幕当初から比べると遙かに短くなっているように思われた。客足が鈍りはじめている証左であった。
しかし、何か様子が変である。「メイドにとって最も重要なスキルは見えない何かに『気づく』スキルだ」とはレディントン先生の口癖だったが、しかしホール内部から洩れ出てくる空気は先ほどまでのそれとは全然違う。一体何が——そう思いつつ教室内へ足を踏み入れると、メイド服で給仕をするカエデの姿が視界に入った。
あらゆる上級生たちの視線がカエデひとりに集中している。それらの視線はまさに「熱視線」と言い換えてもよく、彼女に給仕して貰うためだけに追加注文をする上級生さえいるほどだった。
「いやぁーカエデちゃんは本っ当にかわいいねぇ」
「お人形さんみたいだね」
「連れて帰っちゃだめ?」
「今晩お姉さんたちの部屋でお泊まり会しない?」
「あまりにかわいすぎる……一家にひとりほしい……」
上級生たちから好き好きにちょっかいをかけられ、当のカエデは照れ笑い半分、苦笑い半分といった調子で忙しげに給仕を続けた。そこでナナは思い出す。彼女と同室のリンが以前言っていたのだ。上級生にはカエデの熱烈なファンが多くいて、時折子犬もかくやという具合に可愛がられているのだと。
リンが言っていた秘策とはこのことかと思い至る。ユスティーナの活動もあって、D組の茶会はナナたち決闘の当事者目当てで来る客が非常に多い。であればこそ、客足が途中で鈍るのは必然だった。皆が皆、我先にナナと会話しようと試みるため、D組を最初に訪れようとするからである。そうなればD組を回る優先度は上級生たちの間で高まるとはいえ、安定した客入りは見込みにくい。
そこでカエデを途中投入することで、カエデファンである上級生の客足を引きつけようと試みたのだ。
「カエデちゃん人気、すごい……!」
と、ナナが人知れず呟いてしまったのはまったく無意識の行動で、次いで背後から声を掛けられたとき、ナナはびっくりして飛び上がってしまう羽目に陥ってしまった。カエデに見とれていたためである。
「君がナナ・ミシェーレだな」
見ず知らずのお姉さんが、ナナを真っ直ぐに見据えて微笑んでいる。きりっとした紫色の瞳に整った顔立ち。艶やかで長い黒髪は、頭のてっぺんから伸びた癖毛が印象的だ。テーブルには一人分の点心セットと中国茶器が並んでおり、同席者らしい姿は認められない。どうやら一人で来店しているらしいことが窺えた。
「少し君と話しがしたい。ここの支配人は?」
お姉さんに「支配人は誰か」と問われ、「総監督は支配人にあたるのか?」と少しばかり考える。まぁ、総監督=支配人っぽいポジションではあるけれども……と判断し、こう答える。
「わ、私です……!」
「じゃ、君とのお茶の時間を持つにあたって。誰に許可を取る必要もないわけだ。よし、そこへ掛けて貰えるかい?」
対面の席に座り、あらためて相手の様子を伺ってみる。まず、お姉さんは制服を大いに着崩しており、スカートなどは校則違反ギリギリのラインまで裾が切り詰められている。そしてはだけた胸元から除く大振りなサイズの『何がしか』はナナの視線を捉えて放さず、思わず「あんなに大きかったら、ちょっと肩が凝りそうだな……」と不埒なことを考えてしまった。
ともかく、そんな目立つ容姿も相俟って、お姉さんが上級生であればひと目見ただけで記憶しているはずだとナナは思う。だが、お姉さんを校内で見た記憶はない。知らない上級生だなとナナは思った。少しだけ、警戒を強める。
「ああ、そこの君。可愛いね。ジャスミンティーと点心をもう一人分貰えるかい?」
お姉さんがカエデを呼び止めて注文を告げる。いそいそと注文をメモに取る彼女を眺めながら、お姉さんは「昔、アタシにも君のような妹がいたものさ。何だか昔を思い出すなぁ、懐かしい……」と言ったものだった。そう言ったときのお姉さんはとても優しげな顔をしていたから、警戒心を抱いていたナナは少しばかり肩透かしを食らったような心持ちになってしまう。
「自己紹介が遅れて済まない。私はシエナ・フィナンシェ。〈紋付き(コミュニア)〉のメイドだ。いまはそういうことにしておいてくれ」
いまは——? そういうことにしておいてくれ——? その言葉に少なからず引っかかりを覚え、心にさざなみが立つのをナナは感じた。ということは、本来の彼女はコミュニアのメイドではないことが推測できる。では一体何者なのか。そもそもなぜ学園の制服を着ているのか。それは変装の一種なのか。疑問は次々と湧いてくる。
「あの、話って、なんでしょうか……?」
「何、ただの雑談だよ。先月から私の仲間たちはそれぞれ違う任務についていてね。ひとりの時間を持て余し、雑談相手に事欠いているという始末なんだ」
そう言ってシエナと名乗ったお姉さんは、優美そのものといった仕草で茶器を持つ。
「わかっちゃいると思うが、私は君たちの上級生ではないよ。でも、そう警戒しないで貰いたい。取って食ったりなんかしないからさ——ここの卒業生、といったら、少しは信頼して貰えるかな?」
こちらの心を見透かしたような一言は、ナナの警戒を逆に強める結果になったわけだが、しかしそれでも対面から伝わってくる気配だけで、このシエナと名乗るお姉さんには太刀打ちする術はないとナナは感じた。話術ひとつとっても、こちらの反応を計算し、手のひらで転がされているような感触を覚えたからだ。
「この前の君の決闘、見物させてもらったよ。素晴らしい戦いぶりだったじゃないか。まったくの初心者ながら、あのジュリアに勝ってみせるとは驚いたね。凡人にできることじゃない」
「ありがとうございます……ジュリアさんを知っているんですか?」
「知っているよ。充分すぎるほどにね」
その言葉にまたしても引っかかりを覚える。お姉さんはジュリアと何らかの接点がある。言われてみれば、どことなく両者の雰囲気に近しいものを感じていた。そう思っていたのも束の間、続いて出された予想だにしない質問に、ナナは困惑してしまう。
「ナナ・ミシェーレ。君は自分の才能を何だと思う? あの体験を通じて、思うところがあったはずだ。普通はできない体験に違いなかっただろうからね」
「うーん、そう言われても、自分に特別な才能があるとは思わないです……」
「本当にそうか? 特別な才能が何もない人間が、学園いちの暴れ馬を乗りこなせるようになったり、中国武術(カンフー)の技を短期間で習得したり、そんなことができると本当に思っているのか?」
「……」
「いや、詰問するつもりは毛頭ないんだ。改めて考えてほしい、というだけの話だよ。アタシに言わせれば、この学園に入学を許されている者はみな人並み以上のポテンシャルを備えている人材さ。当たり前だろう? ヨーロッパいちの難関校なんだからね。四〇の学科に在籍する三〇〇〇〇人の生徒たち——ひいてはメイド学科に在籍する三〇〇〇人の生徒たちはみな、何かしらの分野において突出した才能を持っている。君もそのうちのひとりに違いない。そうだろう?」
「……周りにいる友だちはみんなすごい人ばっかりで、時々自信をなくすことがあるんです。運動とか料理だったら得意な自覚はありますけど、勉強だって得意な方じゃないし、成績だって落第しない点をキープするのが精一杯ですし……」
「でも君は落第せずにこのクラスへいつづけている。そこに大きなヒントが隠されているとアタシは思う」
謎かけのような言葉にうーんと考え込んでしまったナナへ、お姉さんは優しげに微笑みかける。そこでナナの分のお茶と点心が届き、会話が一時中断した。
「食べてくれ。アタシのおごりだ——あ、その小籠包の中身に詰まったスープは熱いから、気をつけて食べることをオススメする」
リン謹製のレシピにより作られた小籠包を慎重に口元へ運び、ぱくりと食べる。美味しい——絶品といって差し支えない。薄皮の隙間から啜るスープは滋味に富み、濃厚な肉汁は口のなか一杯に広がり旨味という旨味を主張する。
「美味しい——!」
「このクラスにはとても優秀なシェフがいるようだな。いますぐレストランが開けそうなほどの腕前だ」
ふふっと微笑を洩らしながらナナの食事の様子を見守るお姉さんの顔は、柔和で優しげなものだった。まるで可愛い妹を見るかのような、そんな顔であるかのようにナナは感じた。
「アタシの恩師もよく言っていたことだが、メイドにとって重要なスキルは『気づく』スキルだ。主人の些細な変化に気づけるかで、メイドとして与えられる満足感は大きく異なる。だから、些細な違いさえも見逃すな——ぜんぶ恩師からの受け売りだけどね」
「レディントン先生の教え子だったんですか!?」
「ああ、在学中はたっぷりとしごかれたよ。あの指導を耐え抜けられれば、世の中もう何も怖いものはないと思わされるくらいにね。そうだ、君が憧れる〈フォルセティ〉のルルとアタシは、同じクラスだったんだ。あいつもレディントン先生の教え子だよ」
憧れてやまない人との思わぬ接点に、ナナは驚きのあまり箸で掴んだ焼売を取り落としそうになってしまった。
「シャルロットさんは、どんな生徒さんだったんですか……?」
「ひと言でいえば圧倒的天才——それに尽きる。あいつは入学から卒業まで、あらゆる分野において学園トップの座を譲らなかったからな。勉強だけじゃない。実技に武芸、特にジョストでは負け知らずだった。このアタシでさえ、一度も勝つことができなかったほどだ」
あの圧倒的オーラと気高さ、そして強さは、そうした才能に裏づけられたものだったかとナナは思った。同じレディントン先生の教え子としてルル・ラ・シャルロットへの親近を覚えたのも束の間、憧れの対象とのあまりに大きな隔たりを感じ、何ともいえない気持ちに襲われる。彼女のようなメイドに自分は果たしてなれるのかどうか、いまひとつ自信がなくなってしまったからだった。
「あの——シエナさん。私には夢があるんです。『シャルロットさんみたいなメイドになりたい』……これが私の夢なんですけど、でも……」
「自分は天才でも何でもない。ルルのようなメイドになれるのか、その資格が果たしてあるのか、そんな自問をしてる、って顔だな」
ナナは頷くほかなかった。
「それでもなお、君は夢を諦めたくない——そう思っている。違うかい?」
またしてもナナは頷いた。そう、諦めたくない夢だった。自信はなくとも、ルル・ラ・シャルロットを目標とする想いだけは変わらない。強くそう思えたのだった。
「覚えておくといい。それがまぎれもない、君自身の才能だ」
お姉さんはそう言って、ナナに包みを差し出してくる。思わずそれを受け取ってしまったナナは、渡されたものを見、お姉さんの顔を見る。
「ルルのようなメイドになるための第一歩として、仮ライセンス試験を受けるといい。大いなる夢を実現するには、何かきっかけを掴むことが重要だからね」
「仮ライセンス……?」
耳慣れぬ単語に、ナナは小首を傾げて応じる。
「これから学期末にかけて、メイド学科生が受けることのできるライセンス試験だ。いわゆる現任訓練を受けるためのライセンスと捉えていい。その試験に合格することができれば、在学しながら〈協会〉の仕事を受けることが可能になる。無論、〈協会〉のメイドによる監督のもとで行う仕事だけどね」
ぽかんとするナナをよそにお姉さんは席を立ち、こう告げたものだった。
「仮ライセンス試験に受かった君に、もう一度任務の場で会えることを楽しみにしているよ——ああ、その包みの中身はあとで確認するといい。そいつは仮ライセンス試験で君の役に立ってくれるはずだ」
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そうしてあっという間に時間は過ぎ、クリスマス茶会は閉幕を迎えた。大講堂に集められた一年生たちの前で上級生たちが開票作業を行い、順次結果が発表されていく。
そしてナナたちD組の得票数はというと——僅差でB組の『執事茶会』を下し、第一位という結果だった。企画そのもののスタートが出遅れたことを考えれば、大逆転による勝利といって差し支えない成果である。
拳で床を叩きながら悔しがるB組の生徒たちを尻目に、ナナたちD組の皆は喜びを一身に爆発させ、表彰式の場で互いに抱き合い、肩を叩き合い、健闘を称え合い、さらには作戦を立案したリンや、逆転の立役者となったカエデ、暗躍したユスティーナ、ニコル、ナナ、ついでにリサまで胴上げされた。まるでジョストリーグにおけるシーズン優勝チームの光景さながらともいえる乱痴気騒ぎは、ついには上級生が悪戯で差し入れた〈葡萄ジュース〉——いうまでもないことだが、〈葡萄ジュース〉とは主に上級生たちの間で流通するある飲み物を指す隠語である——の掛け合いに発展し、あまりのエスカレートぶりにレディントン先生が乱入して一喝をくれるまで、一刻もの間続くこととなった。
「やりましたね! これで仮ライセンスは我々のものです! 最初に受かれば任務も選び放題ですよ!」
全身〈葡萄ジュース〉まみれになったリンが言った。その声音は実に誇らしげだ。皆が「リンちゃんのおかげだよ!」「ありがとう! 感動した!」「女諸葛亮孔明!」と盛り上がり、ナナの横にいたリサも、普段の仏頂面とは打って変わっての上機嫌だ。
「ナナ! あんたのおかげよ総監督!」
といって満面の笑みを浮かべたリサに抱きつかれたときには、一体どうしてしまったのか、準備期間における連日の寝不足により、ついにおかしくなってしまったのかと思ったほどであった。
——全身〈葡萄ジュース〉でずぶ濡れになりながら、ナナはなぜここまでみんなが盛り上がっているのか分からず、その胸中は疑問符だらけといった様相なのであった。ナナとしては、リンが言っていた「これで仮ライセンスは我々のものです!」という言葉がとりわけ気になっている次第だったが……。
「ね、ねぇリサちゃん……? 訊いていい?」
「ん? 何?」
「な、何でみんなこんなにテンション高いのかな……?」
「そりゃ、仮ライセンスって先に受けた方が遙かに得だもの。人気のある任務から先に取られていくのよ。まったく、後の方に受ける羽目にだけはならなくてよかったわね。あんただって貴重な春休みを〈協会〉支部のトイレ掃除だけで終わらせたくないでしょ?」
リサの言っていることの意味が何ひとつ理解できず、ナナは「え?」と間抜けな声を上げてしまう。そんなナナの様子を見たリサは、一瞬だけ目をぱちくりと瞬かせ、次いで何かを察したかのように溜息をついた。「呆れた」という表情と、折からの上機嫌な表情が入り交じった、何ともいえない複雑な顔をリサは浮かべていた。「またこの子は……」とでも言いたげな表情だった。
「まさかとは思うけど……何でみんなクリスマス茶会を頑張ったのか、あんた知らないわけじゃないでしょうね……」
「思い出づくり……? とか……?」
「このおばか!」
リサの声に、皆が一斉に振り返った。
「茶会で一位になったクラスは、優先的に仮ライセンス試験にチャレンジできるの! あんたまさか、そ、それを知らずに総監督なんかやってたわけ!?」
ナナはといえば、その言葉に愕然とする他ないのであった——。