第12話

​「仮ライセンス狂想曲・第三楽章」

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 ランプの灯りを頼りにし、リサは暗い地下通路を突き進む。目的地は市街中心の広場である。そこまで辿り着けば〈協会〉のメイドたちが保護してくれる——。

 窮地を救ってくれたあの双子の〈コミュニア〉は、そんなことを言っていた。いまはその希望に縋(すが)るしかない。額に浮かぶ汗を制服の袖で拭いながら、そんなことを考える。

 地下を走る細い道は、幾度も分岐と合流を繰り返す。その構造は複雑だ。気を抜くと、自分たちの現在地を見失いかねないほどだった。

 ジュリアから託された地下通路の図面を確認し、自分たちの現在地はどこか、進む道は間違っていないか、敵に先回りされそうなポイントはないか、待ち伏せを受けそうな地点はどこなのか、それらをひとつずつ慎重に見定めなければならなかった。危険と隣り合わせの状況にあってそうした思考を巡らせるのは、至難の業といって差し支えない。

 敵の魔の手は着実にこちら側へ迫っている。だが姿は見えない。ジュリアが足止めしている連中以外は、おそらく別の通路を経由して先回りを試みているのだろう。ともかく、死角の多い洞穴じみた通路にあって、待ち伏せを喰らえば一巻の終わりだ。

 

『あなたとカエデさんを守るために、私は本気を出そうと思う。お嬢が見ていないところでなら、たぶんやれそう——大丈夫、ちょっとやそっとでは負けないから』

 

 ジュリアの目は本気だった。そこには決死の覚悟とでもいうべき何かがあった。それは、揺るぎない意志と言い換えてもいい何かだった。

 かくのごときジュリアの顔は、これまで一度も見たことがなかったとリサは思う。いつも無表情で不機嫌そうで、口を開けばお嬢お嬢。まるで主人に操られる意思なき人形とさえ思っていた。

 他でもないそんなジュリアが、自らの意志を言葉にしたのだ。一体何が彼女を突き動かしたのか、リサ自身は知る術もない。だが、推し量ることはできる。ジュリアはきっと見出したのだ。自らの意志という、新たな何かを。

 

「何が本気出したことない、よ——」

 

 絞り出すようにリサは言った。

 

「——カッコつけちゃって……生きて帰ってこないと絶対に許さないから!」

 

 ~~~

 

 同時刻。ナナたち任務班はニコルら探索班との合流を終え、リサたちの後を追っていた。ナナに心当たりがあったのだ。シエナから手渡されていた地図のなかに、街中を秘密裏に移動できる地下通路の存在が記されていたためだ。

 それは追っ手を撒きつつ広場へ移動可能な逃走経路という他なく、迷路のように入り組んだ内部を移動するには、シエナから貰った地図の存在が必須となる。念には念を入れて屋敷へ残ったリサたちへ地図の写しを渡しておいてよかったとナナは思い、無事を祈りながら前へ進む。

 逸(はや)るナナの足取りを追うのは、エリザベート、リン、ニコル、ペネロペ、ユスティーナの五人だった。とりわけエリザベートはジュリアの身を案じているのか、常ならぬほど不安げな表情を見せている。余裕ある貴族の顔を崩さない彼女がそのような反応を見せている事実そのものが、事態の深刻さを物語っているかのようだった。

 

「ナナさん、ランプを持っているのはあなたなのですから、あまり先行しないでください。はぐれたら我々が遭難してしまいます」

「まるで迷路みたい……」

 

 先走るナナをリンが制し、ニコルは暗闇に怯えつつ呟いた。

 

「それにしてもジメジメした陰気な場所ね……」

「もとは水道の点検用に造られた通路さ。崩れて通れなくなっている箇所もあるけれど、この通路は街の地下を網の目状に覆っている。敵を撒くには格好の場所だ——でもね」

 

 不快さも顕わに言ったユスティーナに対し、ペネロペは勿体つけた口調で言い、

 

「——知ってるかい? この通路は町外れにある地下の共同墓地へ通じているんだ。死してなお現世に留まる魂は、この迷宮じみた地下通路を彷徨っているという噂が……」

「やめてください」

 

 リンがペネロペの言葉を遮った。いやに冷静な口調だった。

 

「そ、そそそそんなのは、ね、ね、ね、根も葉もない噂です。こ、こ、子ども欺(だま)しの都市伝説なななななんて、き、き、きき今日日ちっとも流行りませんよ……。科学的な、う、うううううう裏づけも、あ、ありませんし……」

「およ? リン、君ひょっとしてオバケが怖いのかい?」

「そんなわけありません!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 リンが常軌を逸した大声で叫ぶものだから、すぐ後ろを歩いていたペネロペは彼女の口を封じなければならなかった。

 

「しっ! 静かに! この先に敵がいるかもしれないんだよ!」

 

 突如そんなことをされたものだから、ただでさえ恐がりなリンは小さな身体をビクンと震わせ、より大きな悲鳴を洩らしてしまう。

 

「待って、みんな!」

 

 と、先頭を歩いていたナナが立ち止まった。突然のことに皆が緊張を走らせる。敵が見えたのかもしれないと思ったからだ。

 

「ナナちゃん、どうかしたの……?」

 

 小声でニコルが尋ねると、ナナはおもむろに床へしゃがみ込み、何かを拾い上げるような仕草をした。その指先には、ランプの灯りを反射する小さな金属製のものが摘ままれている。

 

「ジュリア——!」

 

 エリザベートは口元に手を当てて、一切の血の気が引いたかのような様子を見せていた。無理もない。ナナが拾い上げていたのは、ジュリアが身につけていた髪飾りであったからだ。

 

「見てください……」

 

 滅多なことでは冷静な態度を崩さないユスティーナが、震えた声を出していた。反応した皆が床へ視線を移すと——そこには点々とした血の染みが落ちていた。真新しい流血の跡だった。

 

「そんな……! 何てこと……ジュリア……!」

 

 卒倒しそうになるエリザベートをニコルが慌てて支えてやった。髪飾りが落ちていた位置を起点とした血痕は通路の奥に向かって点々とした染みを描いており、その傷の持ち主が相応に深い傷を負っていることを示してる。この血がジュリアのものであるのだとすれば——その先は想像したくもないことだった。

 

「行こう、みんな……! ジュリアちゃんを助けにいかなきゃ」

 

 ナナは勇気を振り絞る。闇の奥へ踏み出すその足取りは決然としており、迷いがない。

 

(明らかな怯えを見せている他の生徒たちと違って、ナナ・ミシェーレは修羅場そのものに慣れている——幼少期に経験した出来事のせいだろうか?)

 

 彼女の後ろ姿を見遣りながら、人知れずペネロペは思った。

 だとすれば〈任務〉の従事者としてはこれ以上ない適任だろう——普段の昼行灯じみたそれとは異なる眼光を覗かせた彼女は、そんな計算さえも巡らせている。

 まったく——〈紋なし〉の介入は計算外の出来事に違いないが、しかしこうした予想だにしない修羅場というのは、メイドとしての才覚を顕わにする。物怖じせずリサたちの後を追う他の生徒たちもその胆力は中々のものだが、しかしナナ・ミシェーレには及ばない。経験した修羅場の『質』そのものが違うからだ。

 そしてペネロペは思い返す。先刻、屋敷でナナたちと合流した際の出来事を。

 

 ~~~

 

 時は半刻ほど前に遡る。屋敷に戻り、チャールトン女史と合流したペネロペは、思わぬ〈先客〉に不意を突かれることになったのだった。

 

「何で君らがここにいるんだい……」

 

 回廊で仁王立ちになった彼女は、眼前の〈先客〉を見据えて言う。その眉は苛立ちによりピクピクと小刻みに震えており、かたやニコルは何が何だかわからずポカンとした顔を浮かべており、一方のユスティーナはといえば、喫驚(きっきょう)のあまり口をあんぐりと開けている始末だった。

 

「おいおいおいおい! 君たちが〈学園〉に戻ってきてるなんて聞いてないぞ! ロンドンはいつ許可を出したんだ!?」

「子爵(ヴァイカウンテス)・レディントンのご命令とあらば——」

「我ら〈フロスト・シスターズ〉——」

「たとえ地の果て、世界の果てであろうとも——」

「いかなる場所にも馳せ参じる所存」

「あーもう! 交代で喋るな! 気が変になる!」

 

 ペネロペはその場で地団駄を踏みながら絶叫する。彼女の前に立つ二人のメイドは、まるで鏡映しのように背格好から容姿、動作さえ左右対称の双子だった。

 そのうち一人は右の瞳が翡翠色、左が瑠璃色のオッド・アイ。

 泣きぼくろは右目側についており、斜めに切り揃えられた前髪は左目めがけて傾いている。

 もう一人は右の瞳が瑠璃色、左が翡翠色のオッド・アイ。

 前者とは逆で泣きぼくろが左目側についており、前髪は右目の方へ傾いている。

 いずれも年の頃は十代後半といったところだ。喪服めかしたメイド服の胸元に、薔薇色のリボンをあしらっているのが共通点らしい共通点。ともに腰へ巻かれた黒革のガンベルトに、銀光りする特大の回転拳銃(リボルバー)を二挺提げている点もそうだった。

 

「我らがいるからにはご安心を——」

「〈紋なし〉どもを必ずや掃滅し——」

「すぐさまカエデ様の身の安全を確保いたします」

「〈紅目(あかめ)のクリス〉に逃げられておいて何ドヤ顔してんだよ! フィオナ! フローラ!」

 

 再びペネロペが突っかかると、フィオナ、フローラと呼ばれた双子は揃った動作で首を傾げる。その角度や向きさえ二人は左右対称だった。

 姉——右目が翡翠色のフィオナ・フロスト。

 妹——右目が瑠璃色のフローラ・フロスト。

 人呼んで〈フロスト・“ザ・ミラー”・シスターズ〉。戦闘力だけでいえば並みの〈コミュニア〉では太刀打ちすら適わぬほどの手練れである。彼女たちは、いわばアヴリル・メイベル・レディントン配下の秘密兵器——いや、切り札たる最終兵器といってもいい存在だ。

 ひとたび銃を抜いて暴れれば巻き添えや器物破損などお構いなしといった戦闘スタイルは、〈協会〉にとっても取り扱い注意の爆弾じみた何かであり、普段は〈協会〉監視のもと、特別な許可なしにロンドン市内から出ることを禁じられた身の上でもあった。無論、任務のために各地へ派遣される〈コミュニア〉にあってはイレギュラー中のイレギュラーである存在だ。

 そんな彼女たちがなぜロンドンから遠く離れたこの街にいるのか? なぜ気絶した〈紋なし〉二人を縄で縛って床へ無造作に転がしているのか? ペネロペにはまったく理解が追いついていないのだった。

 彼女の心情を知ってか知らずか、フロスト姉妹は同時にぺこりと頭を下げながら宣(のたま)った。

 

「申し訳ございません——」

「此度(こたび)の失態は我ら姉妹の不徳と致すところ——」

「ですが留年を繰り返す元・同級生にタメ語で詰(なじ)られるのも癪(しゃく)なもの——」

「〈コミュニア〉の徽章を得たのは我らが先……むしろ先輩と敬っても良いのでは?」

「あーーーもーーー! うっさいなぁーーー!」

「あ、あの……」

 

 と、傍らにいたニコルがおそるおそる口を開いた。姉妹の発する異様な雰囲気に気圧されているのか、声音には少しばかりの怯えが覗く。

 

「この方たちは一体……」

「あ、こいつら? 僕の元同級——」

 

 ペネロペはそこまで言いかけて咳払いし、

 

「——ふ、古い知人なんだ! ほら、僕留年しまくってるから、こう見えても顔が広くてさ!」

「元同級生なんですね……」

 

 ニコルが半眼のままペネロペに問う。

 

「〈フロスト・シスターズ〉と同学年。ということは〈フォルセティ〉の方々とも……」

 

 今度こそ喫驚したという風情のユスティーナ。

 

「ということは……あなた本当は一体何歳(いくつ)なのですか!?」

「そーーーーーーんなことはどうでもいいんだブン屋ちゃん! それより! それよりだ! フィオナ! フローラ! 状況! 説明!」

 

 ほとんど叫ぶかのような調子でペネロペが問うと、フロスト姉妹はまったく同時に頷いた。

 

「我ら姉妹は〈紅目のクリス〉と矛を交えていた二名の学生を掩護、しかるのちにカエデ様を連れて広場まで逃げるよう指示——」

「そして獅子奮迅の活躍により、〈紅目のクリス〉の部下二名を拘束しました——」

「まぁ、とんだ雑魚でしたが——」

「それはいい! 見ればわかる! 〈紅目のクリス〉にまんまと逃げられたところを含めてな! それ以前の経緯から順を追って説明してくれ!」

「子爵(ヴァイカウンテス)・レディントンが我らに命じたのはカエデ様の『監視』です——」

「そして我らは、かの裏切り者〈紅目のクリス〉が部下二人を連れて屋敷へ侵入したことを確認しました——」

「子爵(ヴァイカウンテス)は仰せになった。何か異変があれば真っ先に突入を敢行し、カエデ様の身の安全を確保せよと——」

「つまりあれだろ? レディントン先生は仮ライセンス試験でカエデの身に何かがあると予見した上で、お前らを監視につけたってことだ」

「いいえ、それは違います——」

 

 妹のフローラがペネロペの指摘を否定する。

 

「かの聡明な子爵(ヴァイカウンテス)・レディントンといえど、予知能力のような超常の力など備えてはいません。我らはあくまでカエデ様の身辺警護を務める役割——」

「子爵(ヴァイカウンテス)はいずれ訪れるであろうカエデ様の危機の気配をいち早く察知し、我らをロンドンから解き放つよう根回しをしたのです——」

「〈学園〉に巣喰う〈ネズミ〉の話か……」

 

 フィオナとフローラの意味深長な言葉を聞いたペネロペは、得心したような声で唸る。一方のニコルとユスティーナにとっては、何の話やらさっぱりといった次第だった。

 

「というか、身辺警護ってことは随分前からカエデの周囲を張ってたんだな。レディントン先生から僕への共有は何もなかったぞ……」

 

 まったく、油断も隙もあったものじゃない、とペネロペは唸り、

 

「話を元に戻してだ。レディントン先生はカエデの身に何かしらの魔手が迫っていたことを予測してたわけだな。君たちの首輪を外さねばならないほど強大な敵が迫っている、と断じた上で——」

「それ、どういうこと……?」

 

 突然聞こえた声に、ペネロペは背後を振り返った。果たしてそこには、息を切らせたナナがエリザベートとリンを伴って立っていたのだ。外出先から走って戻ってきたためだろう——彼女の両肩は激しい上下運動を繰り返していた。

 

「簡潔にいうと、カエデが悪いやつらに狙われてるってことさ。それも、とびきりの悪いやつらにね」

「カエデちゃんは!? リサちゃんは!? ジュリアちゃんは!?」

 

 ナナはペネロペに掴みかからんばかりの勢いで叫んだ。

 

「カエデ様は、お友だちの手引きで現在広場へと向かっております——」

「仮ライセンス試験における緊急手続、第三十九条七項——」

「不足の事態発生の折、試験会場での安全が確保されないと判断された際は市街中心部の広場を緊急避難先とすること——」

「どうしてカエデちゃんが狙われなきゃいけないの!?」

「それはね、ナナ……」

 

 すっと声のトーンを落としてペネロペは言う。

 

「言えないんだ。僕の口からは、何も……」

 

 場を沈黙が覆い尽くす。その雰囲気を見咎めてか、寝間着姿のままのチャールトン女史が口を開いた。

 

「ともかく、外はいまとても危険です。あなたたちは別命あるまでこの屋敷のなかで待機すること。お友だちのことは、〈協会〉が絶対に守ってくれます」

「さっき言ってた〈紅目のクリス〉なる人物……その筋ではかなりの有名人ですよね」

 

 ナナの背後に立っていたリンが指摘する。聞かれていたか、とペネロペは周囲に聞こえないよう舌打ちする。

 

「そこの双子のメイドさんたちもそうです。すぐそばに立っているだけで、私はあなたたちが只者ではないと雰囲気でわかる。でもそんな強者であるあなたたちでさえ、〈紅目のクリス〉には勝てなかった……」

「面目ございません——」

「ここは〈協会〉の施設内——」

「我らは、銃を抜かず戦いました——」

「子爵(ヴァイカウンテス)の許可なしに、我ら姉妹は銃を抜くことを許されていないのです」

「なるほど、ハンデ戦だったってわけだ。ま、もし君らがここでぶっ放していたとしたら、政府に史跡認定されてるこの屋敷があっという間に焼け跡と化してしまうけれどね」

 

 ナナの言葉にフロスト姉妹が応じたのち、ペネロペが軽口を叩きながら嘆息した。

 

「仮ライセンス試験官の事務所が襲われたと憲兵の方が言っていました……そしてカエデさんを狙う敵は〈紅目のクリス〉とその一味。カエデさんとリサさんとジュリアは、いままさに恐ろしい敵に追われている……座視できる状況ではありません」

「エリザ、君の言うことは尤(もっと)もだが、僕たちには座視以外の選択肢なんてありえないんだ。クリスの部下たちは皆強い。そこらの〈コミュニア〉じゃ歯が立たないクラスだよ。事態の対処には大人たちが当たっている。ぼくたちにできることなんて何もない」

「だったら……なおさら心配だよ……」

「ナナ、君は何が言いたい?」

 

 ペネロペは敢えて冷たい声音を作って言った。ナナの考えていることを確かめる意図だった。そして思惑通り、ナナは睨みつけるような顔でペネロペを見据え、決然と言った。

 

「ルペは……ルペはカエデちゃんのことが心配じゃないっていうの!?」

「そんなことは言っていない。心配さ。当たり前だろう。友だちだからね。けれど、君ひとりが出て行ったところでこの事態が打開できるわけじゃあないんだよ。何度も言わせないでくれ。ここは大人たちに任せるんだ」

「助けに行かなきゃ……」

 

 俯いたナナが静かに呟く。

 

「助けに、行かなきゃ……!」

「駄目だ。チャールトンさんの指示に背くつもりか? 仮ライセンス試験の再受験資格を失うことになるぞ」

「試験なんてどうでもいい……カエデちゃんの方が大事だもん……!」

 

 その瞬間、ナナは屋敷を飛び出さんばかりの勢いで駈け出した。「ごめん、みんな!」という言葉を残して。

 

「ナナちゃん! 待って——私も!」

「私も行きます。皆のことが心配です」

「済みません、私も行きます。彼女たちだけを行かせるわけにはいきません」

「あなたたち!」

 

 チャールトン女史の制止も聞かず、ニコル、エリザベート、リンの三人はナナの後に続いてゆく。

 

「ブン屋ちゃん、君はどうするつもりだい?」

 

 チャールトン女史とフロスト姉妹から見えないよう、ペネロペは意地の悪い笑みを浮かべてみせる。

 

「あなたという人は——!」

 

 焚きつけましたね、ナナさんを——ユスティーナは声に出さず、そう伝える。

 

「あーあ、愚かしい愚かしい。再受験資格より友だちのことが大事だなんて。あー愚かしい愚かしい! 愚かしいったらありゃしない!」

 

 いやに芝居がかった口調でペネロペは言う。

 

「ブン屋ちゃん、連れ戻しに行こう! あいつら、まだ遠くへは行っていないはずだ」

「ペネロペ! あなたまで!」

 

 チャールトン女史は怒気も顕わに言い放つ。だが、ペネロペは何処吹く風といった感じで応えてみせた。

 

「大丈夫大丈夫。敵はカエデちゃんのことを追ってるはず。この近辺には、もう影さえ見当たらないと思います。万が一危険を感じたらすぐにここへ戻ります——さ、行こう。ブン屋ちゃん」

 

 そう言いつつ、ユスティーナの手を引くペネロペは、チャールトン女史のそばをすり抜ける。そしてフロスト姉妹の傍らを通り過ぎる際、彼女は押し殺した声で告げていた。

 

「そろそろレディントン先生の部隊が動き出している頃合いだ。君らは適当なタイミングで合流して、クリスを叩け。今度は〈発砲許可〉を出して貰えよ」

「承知致しました。リベンジマッチといきましょう——我が姉様(マイ・シスター)」

「ええ、素敵な鏖殺(おうさつ)になるといいわね——我が妹(マイ・シスター)」

 

 そして、ユスティーナはペネロペに問うたのだった。

 

「ペネロペ、あなたは……一体何者なのですか」

 

 と。

 

 ~~~

 

「もう一度訊きます。あなたは一体何者なのですか。ただの落ちこぼれの留年生とも思えません」

 

 地下通路。ジュリアのものと思われる血痕を追いながら、ユスティーナはペネロペに耳打ちする。

 

「女の子には秘密が沢山あるのさ」

「はぐらかさないでください。馬鹿にされているみたいで腹が立ちます……」

「ふーむ、そうだねぇ……」

 

 しばしの沈黙があり、今度はペネロペがユスティーナに耳打ちした。彼女の顔が近づくと、微かな香水の薫りが漂った。この不良生徒め、という思いが半分、中性的な見た目からは思いも寄らぬフェミニンな薫りに意表を突かれた思いが半分。普段から悪態をつき合う間柄とはいえ、この距離で彼女と言葉を交わした経験などないことにユスティーナは気づき、思わず赤面してしまう。

 

「君はこの事案に関わった……焦らずとも、ぼくの正体についてはいずれ知ることになると思うよ。それまでは、ただの留年生ってことにしておいてくれ」

「……」

 

 そんなやり取りを交わしていた最中だった。

 

「ジュリア!」

 

 エリザベートの叫びが、隊列の前方から轟いた。後方にいたペネロペとユスティーナに思わず緊張が走る。彼女たちの前方を歩いていたニコルやリンも同様だった。

 

「お、お嬢……」

 

 狭い地下回廊に、ジュリアの消え入りそうな声が反響した。

 

「天井の低い空間で……レイピアを使うべきでは、ありませんでした……今度からは、短剣を携行いたします……」

「何てこと……ジュリア、ひどい怪我じゃない……!」

 

 薄汚れた壁にもたれ掛かるようにして、傷だらけのジュリアが座り込んでいた。その制服のそこかしこは破れ、血がついており、弱い息を吐く様子からは敵にこっぴどく痛めつけられた様子が窺える。

 特に庇うようにしている左腕の状況が深刻だ。おそらく折れているのだろう。だらんと垂れ下がった肩口から先は、ぴくりとも動いてはいなかった。

 

「面目、ございません……本気の私にも、まだまだ敵わない存在がいるということ、勉強に、なりました……」

「ジュリアちゃん、カエデちゃんとリサちゃんは?」

 

 ナナはハンカチでジュリアの顔に付着した血を拭いつつ、あくまで冷静に問いかける。その間、ニコルは破り捨てた自らの制服の布地を器用に使い、患部に即席のギプスを作っていた。

 

「この先の道を……進んで、広場の方へ、向かったはずです……ここにいた連中は、みな、倒しましたが……彼女たちを追っている、別働隊が……いるはずです……」

 

 ふと闇に覆われた周囲を見渡すと——そこには倒れたメイドたちが折り重なり、動かなくなっている様子が視認できた。まさか……と皆が思った気配を感じ取ったのか、ジュリアは「ふっ」と不敵な笑みを浮かべたあとに呟いた。

 

「安心してください……峰、打ち……です……」

 

 と。

 

 ~~~

 

「送迎ご苦労——リサ・キャロット」

 

 地下から地上へ出た瞬間、片腕を掴まれて引き摺り出される。目の前には屋敷で相対した深紅の瞳を持つメイドの顔が、リサの鼻先にまで迫っていた。

 あまりに突然の出来事に、敵に先回りを許し、まんまと地上へ出てきたところを捕えられたのだと理解するのに、しばしの時間を要してしまった。

 なぜ——? どうして——? リサは混乱し、考えた。だが答えなど出ようはずもない。地下通路内で先回りされるならまだしも、目的地である広場で待ち伏せされるというのは想像の埒外にある出来事に相違なかったからだ。追っ手は地下で確実に撒いたはず……そう考えた直後、深紅の瞳を持つメイド——〈紅目のクリス〉は口の端を歪ませた。

 

「追っ手は撒いたはず、なぜ——? そんな顔をしているな。嵌(は)められたことにも気づけぬ半人前以下め。お前は我々を撒いたのではない、その逆だ、リサ・キャロット。お前たちは猟犬に追われた獲物よろしく、罠へと誘い込まれていたのだよ」

 

 その言葉でピンとくる。だが後悔先に立たず。地下通路で先回り作戦に出たと思っていた敵の動きは実のところ、リサたちが進む道の選択肢を狭める行為に他ならなかったのだ。そして敵の思惑通り、クリスたちが待ち伏せる地下通路の出口をまんまと選んでしまったというわけだ。

 

「いや! 離して!」

 

 カエデの悲痛な叫び声がこだまする。彼女は〈紋なし〉のメイドたちに取り押さえられ、小さな手足を必死に動かして抵抗していた。だが二人の大人に押さえつけられた状況で、その程度の抵抗は意味をなさない。カエデは涙を流しながら怯えていた。

 

「カエデに何するのよ!」

 

 声を上げた瞬間、頬に強烈な平手打ちを喰らわされる。殴打の瞬間、視界が白熱して消失し、リサは呻いた。掴まれていた腕を解放されると、今度は背後にいた〈紋なし〉二人の手で羽交い締めにされ、身動きひとつ取れなくなった。

 

「諦めろ、リサ・キャロット。あの子の運命は我々に狙われた時点で決していたのだ。この運命は覆らない。いくら喚いたところで、絶対にだ」

 

 夜空をバックに、クリスは両腕を拡げながら「どうだ?」という趣で嗤ってみせる。

 

「これが我が部隊の実力だ。真に優秀なる我が部下たちが、〈コミュニア〉に遅れを取ることなど、ありえない」

 

 クリスの周囲では倒れた〈紋つき〉のメイドたちがめいめい呻き声を上げている。もはや抗戦できる者など誰一人なく、折り重なる敗者たちの中央に屹立し、クリスは赤い瞳を炯々と輝かせながら哄笑した。無論、倒れている者たちはカエデを保護すべく広場へ集まった〈コミュニア〉のメイドたちに相違ない。

 

「見たか? これが現実だ。〈協会〉に飼い慣らされたメイドなど、我々にとっては木っ端同然の存在なんだよ」

「この外道ッ……! カエデをどうする気よ!」

 

 リサは己の歯を食い縛る。

 

「あの子がどうなろうとお前のような餓鬼には関係ない。ただお前は忘れればいいのだ。カエデなどという子は最初から存在すらしていなかったと、そう思ってこれからの人生を生きればいい——言っている意味がわかるか? お前の返答次第で、生かして帰してやると言っているのだ」

「……!」

「——それが嫌だというのなら、私はお前を斬り棄てる」

 

 腰の日本刀に手を掛けながらクリスは問う。先刻までの嘲るような顔が一瞬で消え、仮面のような無表情に変わる様は、言い表しようのない恐怖をリサの脳に刻み込む。

 

「フフ……そう怖がることはない。私は一太刀でお前をあの世へ逝かせてやれる。斬ってくれというのなら、苦しまないよう〈済ませて〉やるということだ——子どもの断末魔を聞くのは、何とも寝覚めが悪いからな」

「——カエデを離せよ、クソババアッ!」

 

 リサの怒声とともに、クリスの赤い瞳が細められる。「ほう……それがお前の選択か」とでも言わんばかりの、冷酷極まる表情だった。

 

「よかろう……おい、そいつを押さえてろ。暴れられると狙いが逸れる」

 

 命令が下されると同時、リサは膝裏を蹴られて跪(ひざまづ)く。そのまま前屈みの姿勢にさせられて、項(うなじ)をクリスに差し出した格好で拘束された彼女は、今度こそ死を覚悟した。

 

「何か言い残すことはあるか?」

「リサちゃん!!」

 

 カエデの声がひたすらに遠い。恐怖で膝が震えている。呼吸は次第に浅くなり、唇から急速に血の気が引いてゆくのが自覚できた。だが、リサの気持ちは萎えてなどいなかった。

 

「地獄に堕ちろ……この悪党ッ……!」

 

 声を震わせながら、しかし決然と、クリスの目を睨み上げて言い放つ。その言葉を受けてなお、クリスの表情は変わらない。

 

「とっくに堕ちた身の上だ……。いまさら地獄に堕ちろと言われても大して響かん」

 

 そして、クリスは腰の日本刀を抜き払う。月光を反射してぎらつく刀身は、ゆっくりと上段に構えられる。

 

「やめて!!!」

 

 カエデの悲痛な叫び声——そして、衝撃。リサは最初、いよいよ自分が斬られたのかと錯覚した。顔面から前のめりに地面へぶつかり、ややあって恐る恐る首の後ろを触ってみると、果たして胴体と首は繋がったままだった。

 どっと噴き出した冷や汗を自覚しながら、慎重に辺りの様子を伺ってみる。濛々と立ち籠める紫色の煙は視界全体を覆っており、周囲の様子は判然としない。この一瞬の間に何が起きたというのか——? 煙を吸い込んで咽せ込みつつ、またしてもリサは混乱に襲われた。

 

「リサちゃん」

 

 背後から肩を叩かれ、思わず叫び声を上げてしまう。瞬間的に後ろを振り返ると、何とそこにいたのはナナだった。剣を手に、「しっ」と立てた人差し指を唇に当てる仕草を見せる顔は、真剣そのものだ。

 

「いまのうちにここから逃げよう。カエデちゃんを連れて」

「ちょっとあんた! どうしてここにいんのよ!? この煙は何なの!?」

「シエナさんから貰ったんだ。目くらまし用の煙幕玉」

「シエナ……さん……? 煙幕玉……?」

「この煙はしばらく晴れないはずだから、いまのうちにカエデちゃんを探そう。視界が限られてるから、敵も無闇には攻撃できないはず」

 

 と、周囲で剣戟(けんげき)の音が複数鳴り響いていることにリサは遅れて気づいている。ナナが救援を引き連れ助けにきてくれたのだと理解するのに、それからさらに数瞬を要した。

 

「ナナさん! 敵が強い! はやくカエデさんを!」

 

 どこからかリンの声が響いてきた。

 

「私たちが敵の動きを封じているうちに、早く!」

 

 今度はエリザベートの声だった。己の危険も顧みず、皆が救援に駆けつけてくれたのだとわかった瞬間、リサは嬉しさと安心感とで泣きたいような気持ちに襲われた。だが——。

 

 ブオンッ、という風を切る音とともに、周囲一帯を覆っていた煙が払われた。何が起きたかわからず、リサたちは混乱に襲われる。

 

「子ども騙しの小細工で……私の隊を謀(たばか)れると思うなよ」

 

 氷点下の殺意とでもいうべき声音が耳朶を打った。怒りに震えるクリスの声だ。刀を抜き払った彼女を中心として、煙幕が晴れている様が視認できる。信じがたいことに、クリスは一太刀の居合抜きで一帯の煙を薙ぎ払ってみせたのだ。

 

「ヤァァァッ!」

 

 先手必勝とばかりにリンが飛び出す。その手には三節棍状の武具がひと続きになった、携行用の槍が握られている。

 最適なタイミングでの奇襲。そして必中の間合いへの踏み込み——そのはずだった。しかし——。

 

「遅い。欠伸が出る」

 

 抜刀一閃。既に抜き放っていた太刀の柄から左手を外し、クリスは鞘に収めた脇差へ指先を掛ける。そして一瞬以下の速さで刀身を走らせ、リンが突き出した槍をあっという間に両断した。続けざまに居合抜きの勢いを利用して身体を半回転だけ捻り込み、踵で顎先を蹴り上げる。それと同時に、リンの小柄な身体が宙を舞う。

 ここまでが約一秒間の出来事だ。

 次いでナイフを手に襲い掛かったペネロペの動きを見切り、カウンターの峰打ちで地面めがけて叩き伏せる。更に躍りかかるエリザベートを足払いで無力化し、バックステップ。

 ここまでが約一・五秒間の出来事だ。

 そして最後、叫び声とともに向かってきたナナとジュリアの剣を両手に構えた刀で弾き返し、ともに廻し蹴りの一撃で吹き飛ばす。

 ここまでが二・二秒間の出来事だ。

 出遅れたニコルとユスティーナは、恐怖でその場から一歩も動けず、ただ目の前で展開された出来事を傍観するしかすべはない。

 倒れたリン、ペネロペ、ナナ、ジュリアは、起き上がることができず苦悶の呻き声を洩らしている。

 

「私にとって斬殺は〈慈悲〉だ。たった一太刀で終わらせることができるからな」

 

 冷え切った殺意を滲ませた声でクリスは告げる。

 

「お前らを斬ろうと思えば百遍は斬れた。だがそうしなかった。この意味を噛み締めろ——そして我が隊を侮った愚かさを、寸刻みにされる苦悶のなかで懺悔しろ」

 

 ナナは苦痛に耐えながらやっとの思いで身を起こす。蹴り飛ばされた際の勢いで噴水の縁に頭をぶつけ、後頭部がジンジンと痛んでいる。

 勝てない——どう逆立ちしても、勝てる相手ではありえない——直観がそう告げていた。あまりにも実力差がありすぎる。両脚が勝手に震え出すのを、もはや止めることなどできなかった。

 無力感。それがナナの胸中を支配しつつある感情だった。そして、過去の記憶が鮮烈なまでに蘇る。焼かれた故郷の村と、広場に集められた皆の絶望しきったあの表情。家族や隣人たちが殺されるのをただじっと待つだけの、耐えがたい絶望感。

 かつて村の皆を救ってくれた〈あの人〉のようなメイドになりたいと思い、この学校へ入学した。日々の厳しい教練に堪え忍び、少しは強くなれたと思っていた。しかし現実はどうだろうか。ナナは無力感を噛み締める。そして——。

 

「生徒たちに当てるな! 射線に注意! 撃ち方はじめ—————ッ!」

 

 号令とともに、耳を聾する炸裂音が断続的に轟き渡った。あまりの音量にナナは思わず両耳を塞いでしゃがみ込む。身を守ろうと無意識に取った行動だった。

 周囲で石畳が捲れ上がり、樹木が破裂し、石造りの噴水が割れ砕けた。何がなんだかわからない。炸裂に次ぐ炸裂。それがクリスたちを狙い澄ましためくるめく銃火と弾着の迸りである事実など、混乱の極みにあるナナたちには知る由もない話だった。

 

「撃ち方やめ—————ッ!」

 

 軍隊式の号令と同時に、すべての銃火がぴたりと止んだ。地面に伏せた格好のまま、ナナはおそるおそる顔を上げる。そして、眼前に広がる光景に目を疑った。さきほどまで広場にあった何もかもが、無惨に破壊し尽くされていたからだ。

 

「さすがだクリス。優位位置、しかも包囲陣形からの一斉掃射だぞ? 蜂の巣にされるどころか銃創ひとつ負っていないのはどういうことだ? まったく、お前の剣の腕にはいつだって驚かされる」

「訓練用の弾を使うとはどういう了見だ? アヴリル。〈斬った〉手応えがまるでなかったぞ。舐めているのか」

「ハハッ! 飛んでくる無数の弾を〈斬って〉避けたか! 傑作だな」

 

 広場を取り囲むようにして建ち並ぶ家々の屋根——そこに扇状の陣形で〈コミュニア〉のメイドたちが散開し、濛々と煙の立つマスケット銃を膝射(しっしゃ)姿勢で構えていた。装填動作を終えたいずれの銃口も、狙いはクリスにぴたりと合わせられている。

 そして、それらの武装したメイドたちを従えているのは、胸元に〈コミュニア〉の徽章を輝かせたレディントン先生だ。

 

「訓練用の弾を使ったのはな、クリス。死人は我々に何も喋ってはくれないからだ。カエデのことは諦めて投降しろ。さもなくば、貴様がいる広場へ猛獣を“四頭”放たねばならなくなる——お前ほどの者が無様に喰われる姿など、見たくはない」

「猛獣……? 何のことだ」

 

 と、次の瞬間。クリスの前に人馬が音もなく歩み出る。芦毛の牝馬——フォックスハントに跨がるノーラ・オブライエンの姿がそこにあった。

 

「猛獣だなんて失礼だなぁ。ひとを何だと思ってるんだあの女は。ねぇフォックス?」

 

 場違いなほど暢気な声に、フォックスハントは激しい嘶きで応えてみせる。一方、ノーラは抜き放った片手剣を肩に担ぎ、余裕綽々の表情だ。

 

「おっ、クリスじゃん。おひさー! 〈闇メイド〉に落ちぶれてるって聞いてたけど、元気してた? ご飯ちゃんと食べてるかい?」

 

 間の抜けた挨拶に、クリスは額に青筋を浮かべて殺気を放つ。彼女の部下たちは訓練用の弾に撃ち抜かれ、既に動ける者はひとりもいない。文字通りの一騎打ちの予感に、広場全体へ張り詰めた緊張感が漂った。

 

「ノーラ、貴様……やる気であれば、その馬ごとお前を斬るぞ……!」

「ありゃりゃ、そりゃ動物虐待だよクリス。でもさ——」

 

 次の瞬間、ノーラとフォックスハントの姿が一瞬で消える。否、消えたのではない。一瞬で加速を開始し、クリスめがけて突進したのだ。

 

「あはっ! 刀二本で騎馬突撃に勝てるわけないじゃん! 馬との体格差考えろ、バーカ!」

 

 フォックスハントの体当たりをもろに喰らったクリスが凄まじい勢いで撥ね飛ばされる。彼女は一瞬の動きで受け身を取って立ち上がりかけるが、しかしそこへ曲芸じみた手綱捌きで右へ左へステップを踏みつつ、ノーラは再びフォックスハントを突っ込ませる。あれほどの暴れ馬を手綱一本で巧みに御すとは——ルル・ラ・シャルロットをジョスト選手として育て上げた名騎手の、まさに面目躍如といった次第だった。

 

「ほれほれ! 避けないと死んじゃうぞぉ?」

 

 馬上から振るわれる幾重もの斬撃を牽制として、一八〇度馬を急ターンさせ、フォックスハント渾身の〈後肢蹴り〉が放たれる——凄まじいパワーとスピードが乗せられたそれを、クリスは上体を反らせて避けることしかできなかった。

 

「もいっちょ!」

 

 そしてまた一八〇度急ターン、右へステップ、左へステップ、そして突進。およそ〇・五トンもの体重が乗せられた騎馬突撃をまともに喰らい、クリスの身体が木っ端同然に吹き飛んでゆく。

 トップクラスの〈コミュニア〉の実力とは、こうまで圧倒的なものなのか——ナナは両者の戦いを呆然とした面持ちで見つめていた。逆にいえば、ノーラ・オブライエンほどの実力を有していながら、かの〈エスパティエ〉の徽章を授かることは適わないのだ。では、ルル・ラ・シャルロットら〈フォルセティ〉の実力とは果たしてどこまで人智を超えたものなのか。想像すらできない領域の話に、身震いさえ覚えるような心地だった。

 

「っと、いっけね、私がやっつけちゃ〈あの子〉たちに申し訳ないや……」

 

 仰向けに倒れたクリスを見て、ノーラは後頭部を搔きながら言った。「やりすぎた」と言わんばかりの、いかにもばつの悪そうな表情だった。ぴたりとフォックスハントを止めた彼女は、きょろきょろと辺りを見回したのち、クリスに向けて声をかけた。

 

「だいじょぶ? まだ起き上がれる?」

「ノーラ、貴様……ふざ……ける、な……」

 

 跳ね起きたクリスは、両手の刀を構えて相対する。

 

「舐めるなよ……こんなもの、かすり傷のうちにも入らない……さあ、こい……!」

 

 激しい殺意の篭もった視線で睨まれたノーラは、しかし平然とした表情を変えようともしない。

 

「残念だけれど時間切れだ。〈あの子〉たちの我慢も限界だからね。選手交代といこうか」

「……何の話だ」

 

 荒い息をつきながら、クリスが問う。そのメイド服は度重なるダメージを受けてボロボロだ。そんな彼女の様子を見て、ノーラはやれやれといった具合にかぶりを振る。その仕草がどういう意味が、クリスはまったく分かっていない。

 

「私の元・教え子たちが、君とのリベンジマッチをご所望でね。これは忠告だけれど、アヴリルは既にあの子たちへ〈発砲許可〉を出している。つまりどういうことかというと、〈フロスト・シスターズ〉はマジのマジの大マジの〈本気〉で君とやる気だ——よってここから先の君の命は保証できない。絶対に死ぬなよ」

 

 刀を構えた姿勢で固まったままのクリスの耳に、どこからともなく声が届く。

 

「さあリベンジ・マッチですよ、我が妹(マイ・シスター)——」

「久々に許された〈本気〉です。あの〈紋なし〉の高慢ちきな鼻っ柱をブッ潰してやりましょう。我が姉様(マイ・シスター)——」

「おやおや言葉が汚いですよ、我が妹(マイ・シスター)。常に優雅かつ、圧倒的であれ。子爵(ヴァイカウンテス)・レディントンの教えです——」

 

 漆黒のメイド服に身を包む鏡映しのような双子が、悠然とした足取りでクリスの方へ歩んでくる。彼女たちはノーラとフォックスハントのコンビとすれ違うようにして、ゆっくりとクリスの方へ向かっていた。

 腰のガンベルトから抜き放った銀色の回転式拳銃(リボルバー)を器用に回して弄びつつ、翡翠色と瑠璃色をした彼女たちのオッド・アイが、闇夜にあってもそれとわかるほどにぎらついていた。それこそアヴリルが言っていた通り、「猛獣」もかくやというほどの殺気を放っているのは傍目からも明らかだ。

 

「〈本気〉を出したときのフィオナとフローラは、本当にやばい。ノーラ先生が退いていったろう? 攻撃の〈巻き添え〉を避ける目的だよ。あいつらがロンドンで〈協会〉の監視下に置かれている理由は、すぐにわかるさ……」

 

 荒事専従の〈コミュニア〉なんだよ、あの双子は——フロスト姉妹の様子を見たペネロペが、忌々しげに告げた。これから何かとても不吉なことが起こるぞといわんばかりの口調だった。

 

「あの双子……銃使いか……」

 

 左右の刀を構え直したクリスが言った。その言葉を呼び水として、フロスト姉妹は不敵に嗤う。

 

「どうしましょうどうしましょう我が姉様(マイ・シスター)。あいつまだまだ全然やる気です。私、何だか嬉しくなって参りました——」

「では捻って差し上げましょう我が妹(マイ・シスター)。あの高慢ちきな鼻っ柱をブッ潰して、ブッ潰して、もう一度ブッ潰して、さらにブッ潰して、もっともっとブッ潰して、何度も何度もブッ潰して——」

「「ブッ潰す—————————!!!」」

 

 ——その夜、〈紋なし〉メイドこと〈紅目のクリス〉は憲兵付き添いのもと、ほぼ瀕死の状態で医者のもとへ担ぎ込まれた。また戦いの舞台となった広場は基礎構造物を残しほぼ瓦礫の山同然の廃墟と化し、カエデを含むメイド学科生九名はアヴリルら〈コミュニア〉精鋭部隊の手によって保護された。

 以上が街中を騒がせた仮ライセンス試験の夜に起きた顛末である。しかし話はこれで終わるはずもない。むしろこれら一連の出来事は、ナナたちにとってすべての端緒といえる何かしらに過ぎなかった。

 そのことをナナたちが知るのは、もう少し後の話となる——。

 

 ~~~

 

 ナナは何もできなかった自分を恥じていた。勢い込んでカエデたちを助けに行くと言って飛び出したものの、実際に彼女たちを救ったのはレディントン先生にノーラ先生、そしてあのフロスト姉妹に、精鋭たる〈コミュニア〉徽章持ちのメイドたちだ。

 かたや自分は〈紅目のクリス〉に歯が立たず、怪我をして治療の手間さえかけさせたのだ。

 やはり自分は、まだまだ半人前以下のメイド見習いにすぎなかった。そう痛感せざるを得ない出来事だった。

 あの出来事ののち、普段通り登校したナナたち〈五人〉を、アヴリルは自らの研究室へ呼び寄せた。そこにはリサ、ジュリア、カエデ、ペネロペの姿はない。

 リサ、ジュリア、カエデの三人は既に仮ライセンス試験合格の通知を貰っており、そしてあれ以来、学園内にペネロペの姿は見当たらなかった。退校したとも、失踪したとも、旅に出たとも言われている。いずれにせよ、あの謎めいた留年生、ペネロペ・ハバートの行方は杳として知れない。

 

「ノーラ以外、あそこに集まった〈コミュニア〉は、すべて私がメイド道を叩き込んだ者たちだ。あの暴力姉妹も含めてな」

 

 そして、アヴリルはナナたち〈五人〉の目を見据えながら言ったのだ。

 

「自分の無力さが歯痒いか? その歯痒さを噛み締めろ。そしてその気持ちを一人前になるまで忘れるな。私の指導についてくれば、お前たちも遠からずあいつらの仲間入りを果たすことになるはずだ。だから、いまはただひたすらに努力しろ。己の無力さを払拭するための道を歩み続けろ——私が言えることは、これくらいしかないがな」

 

 窓の外へ視線を移しながらアヴリルは言った。

 

「お前たち全員に仮ライセンスを授与することが正式に決まった。友を救うためとはいえ、規則違反を起こした生徒にもライセンスを与えていいものか、議論は紛糾に紛糾を重ねたが、私がお前たちを推薦した——」

 

 先生の言葉を、ナナたちは驚きとともに聞いていた。

 

「いいかナナ、ニコル、エリザベート、リン、ユスティーナ——我々メイドはいかなる状況であろうと仲間を決して見捨てない。そしてお前たちの精神は、そういった意味においてメイドたる資格を充分に有しているものと考える」

 

 よかったな、とアブリルは言った。

 

「これで晴れてお前たちヒヨッ子も〈半人前〉だ」

 

 と。

 

 ~~~

 

 そして三月。ロンドンの〈協会〉本部での仮ライセンス授与式当日。ナナたちは晴れて仮ライセンス保持者になったのだった。

 これで学業の傍ら外での任務が受けられるようになる——でもルペのことは残念だったね、とナナは呟く。「ルペ」とはペネロペのニックネームである。彼女は結局、仮ライセンスの日を最後に〈学園〉から去っていったとのことだった。理由は不明だ。しかしもとより風の吹くまま気の向くままといった性向の彼女だから、そんな道を選んだのだとしても不思議ではない。どことなく、皆はそう思っていた。

 そして——。

 

「やぁやぁみんな! 何をそんなに浮かない顔をしているんだい? せっかく〈半人前〉になれた目出度い日だ、もっと喜びたまえよ」

 

 背後から聞こえる耳慣れた声音に、ナナたち八人は一斉に背後を振り返る。するとそこにはメイド服の上から〈協会〉職員の象徴である白いローブを羽織ったペネロペの姿があったのだ。

 

「え、え? えーーーーーー???」

 

 ナナがペネロペを指さして絶叫を上げる。他の皆は大口を開けたまま言葉もない様子だった。

 

「どう? 驚いたかい? これが僕の正体さ」

 

 彼女の胸元には燦然と輝く〈コミュニア〉の徽章。無論、本物の輝きを放つそれである。

 

「王立ファルテシア学園メイド学科一年生を名乗っていたペネロペ・ハバートは世を忍ぶ仮の姿……その真の姿は〈メイド協会〉ロンドン本部の情報局員だったのさ……! なんてね」

 

 てへっ、と舌を出して笑うペネロペに、半眼のままニコルが問う。

 

「あなた、本当は何歳なんですか……」

「花も恥じらう十九歳☆」

「一体何年留年してたんですか! めっちゃ年上じゃないですか!」

 

 リンの指摘(ツッコミ)が〈協会〉本部の回廊へ鋭く響く。

 

「と、漫談はこのへんにしといて、だ」

 

 一転して真剣な口調でペネロペは告げる。

 

「レディントン先生が君たちのことをお呼びだよ——〈真の覚悟〉を有する者とだけ、話をする気があるらしい。そういうわけだから、〈真の覚悟〉のある人は僕のあとについてきて。いいね?」

 

 〈真の覚悟〉——それが一体何を意味する言葉なのか。ナナたちにはとんと見当がつかない。

 

「あ、あの……〈真の覚悟〉って、一体何なのでしょうか……」

 

 ナナがおそるおそる質問する。そして、ペネロペはこう答えたのだった。

 

「正しきことをなし、メイド道に殉じる覚悟——先生は君たちにその資格を問うているのさ」

 

 と。

 

 ~~~

 

 ペネロペに導かれるまま、ナナたちは迷路じみた回廊を歩み続ける。するとややあって、回廊の奥深くに位置する扉の前まで辿り着いた。結局皆が皆、〈真の覚悟〉のある者として手を挙げた格好で、ペネロペのあとに着いてきたのだった。

 「正しきことをなし、メイド道に殉じる覚悟の有無」を問われては、仮ライセンスを授与されたばかりのメイド学科生としては「No」と答えられる場面でないのは確かだった。

 

「さあナナ、扉をノックして開けたまえ。きっとビックリするぞぉ?」

 

 レディントン先生が待っている部屋へ入るのに、何をビックリする必要があるというのだろうか……。ナナは首を傾げつつ扉をノックし、「入れ」という先生の声を確認し、「失礼します」と言いながらドアノブを捻った。すると——。

 

「紹介しよう。この者たちが〈フォルセティ〉——当代最高峰のメイド四人だ」

 

 

 

 視界に飛び込んできた情報をナナは処理しきれず、部屋へ入りかけた格好のまま固まってしまう。なぜなら室内の会議卓へ着いている先客のなかに、あのルル・ラ・シャルロットがいたのだから。

 

「ごきげんよう。入学式以来の再会ですね、ナナさん」

 

 優しく微笑みかけるルルを見つめたまま、挨拶を返すことすら忘れ、言葉をなくして立ち尽くす。こんな不意打ちを喰らっては仕方のない反応であった。

 入学式の前日、ナナを賊から救ってくれた命の恩人。エリザベート曰く、かつてナナの故郷を救ってくれた勲爵士(マーム)・シャルロットの実の娘——そんな彼女は、以前と変わらず清く美しくそこにあった。

 

「驚かせて済まない。これは顔合わせの一種だと思ってくれ——」

 

 会議卓の最奥へ鎮座するレディントン先生は、そう言ってナナたち八人を招き入れた。最後に入室したペネロペが後ろ手に扉を閉めると、室内に異様なまでの静寂が訪れる。外の音が全く入ってこない設計になっているのだ。その逆もしかり。この部屋で立てられた音は、一切外へ洩れ出ない設計になっている。ナナたちが招き入れられた一室は、徹底した盗み聞き防止の措置が施された会議室だったのだ。

 

「実物の〈フォルセティ〉を見るのは初めてか? ああ、皆ルルには入学式のときに会っているはずだな」

 

 レディントン先生はティーカップを置きながら、既に会議卓へ着いていたルルたち四名へ視線を向けた。ナナたちの目も、自然とその方向へ誘導される。

 ——ルル・ラ・シャルロット。

 ——シエナ・フィナンシェ。

 ——ノフィーナ・デ・タルト。

 ——マリエール・ウィークエンド。

 順番に紹介された彼女たちは燦然と輝く〈エスパティエ〉の徽章を身につけている。それはまさに、当代最高峰のメイドたる証に相違ない。

 

「よっ、ナナちゃん。クリスマス茶会のとき以来だね」

 

 シエナ・フィナンシェと紹介されたルルの隣に座る人物が、ナナに向けて笑いかける。こちらも思いがけない再会に、ナナはまたしても驚いた。一方、彼女の背後に立つジュリアは、彼女から視線を切って俯いた。

 

「先生、この子たち本当に使えるんですか? 仮ライセンスを取ったばかりなのでしょう?」

 

 マリエール・ウィークエンドと呼ばれた人物が、レディントン先生へ怪訝そうな眼差しを向けている。眉間に寄せられた皺が、いかにも神経質そうな趣だった。

 

「そう言うなマリエ。私の見込んだ生徒たちだ。適性は充分にあると思って貰って構わない」

「マリエはいつもそう。初対面の相手に手厳しい。だからみんな、気にしないでね」

 

 レディントン先生の言葉に続いたのは、ノフィーナ・デ・タルトと呼ばれた人物だ。銀色の髪をツインテールにした小柄な彼女は、いかにも捉えようのない雰囲気を発している。

 そして、レディントン先生はナナたちに告げた。

 

「皆も知っての通り、この〈フォルセティ〉四人は〈王宮〉所属の〈エスパティエ〉だ。だが彼女たちは別の顔も持っている——我々が従事している秘密作戦の支援要員、という裏の顔だ」

 

 その言葉をナナたちは驚きを持って聞いている。王国のスターといってもいい〈エスパティエ〉四人が、まさか裏でスパイじみた稼業についているとは。

 

「我々は王国内に存在する『ある勢力』と戦う任務を担っている。敵は実に強大だ。あらゆる領域に潜んでいる。それに対抗すべく、我々はある組織のもとで動いている——カエデ、君の母親であるモミジがトップを務める組織のもとで、だ」

 

 突如語られる話に、ナナたちはとてもついていけそうにない。カエデの母親がトップに立つ組織のもとで、レディントン先生のみならず〈フォルセティ〉までもが動いている——? にわかには信じがたい話だった。

 しかし続けて告げられた情報は、ナナたちを今度こそ驚愕させることになったのだった。

 

「お前たちには、仮ライセンス保持者としてこれから〈フォルセティ〉と行動をともにして貰う。秘密作戦に従事するこいつらを支援するのだ」

 

 シャルロットさんたちと、行動を、ともにする——?

 ナナは信じがたい思いでその言葉を聞いていた。これは夢ではないか? そう思ったほどだった。そんなナナの反応をよそに、レディントン先生は説明を続ける。

 

「さて、こんなことを言われて即座に受け容れろというのも無理があるのは百も承知だ。そうだな……まずはことの経緯から説明しよう。我が王国と大ドイツをめぐるヨーロッパの情勢がいまどうなっているかは、知っているな?」

(後編に続く)

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