第18話

​「号砲」

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 板張りの大広間にあって、ナナはクリスと対峙する。肩で息をつきながら、疲労にまみれた身体へ鞭打ちつつ、クリスの隙を必死に伺う。特訓をはじめてから既に三時間あまり。もう何度剣を交えたかわからないが、一本を取れる気配さえ感じない。振るう太刀はかわされ、弾かれ、逆に痛烈な一打を返される。その繰り返しが続いていた。

 

「どうした、彼我の実力差に怖じ気づいたか」

 

 紅い眼で睨みをきかせ、挑発混じりにクリスが言う。彼女が使うのは二刀からなる抜刀術。射程距離内へ近づいた者を容赦なく斬る必殺の剣だ。あれにどう立ち向かう——ナナは考えを巡らせる。

 ナナはルルの戦いぶりと、かつて故郷を救ってくれたマーム=シャルロットの剣筋を思い起こした。彼女たちの戦い振りは見る者を魅了するほどに華麗である。あんな風に戦いたい——そう願えばこそ、これまで学園において剣の腕を磨いてきた。しかし、そのすべてが通じない。実戦でも、この特訓でも。歯痒さばかりが募ってゆく。

 苛立ち混じりに、クリスへ向けて気勢とともに躍りかかった。ルルのようなステップを踏み、マーム=シャルロットのような斬り込みで攻め入ることを試みる。だが、かわされて姿勢を崩される。踏みとどまったところへ剣の一撃が飛んできて、なすすべもなく床を転がる。

 

「もう一本!」

 

 立ち上がりざまにナナが言うと、クリスは顎に手を当て「ふむ」と一言呟いた。

 

「お前の剣は猿真似だな。それ以上でも以下でもない。弱さの根源はそこにある」

 

 ナナは再度クリスと真正面から向かい合う。

 

「憧憬は時に毒ともなる。それを念頭に置くことだ。所詮、お前はルル・ラ・シャルロット自身にはなれない——どこまでいってもお前はお前であるからして、ナナ・ミシェーレ自身にしかなれないのだから」

 

 剣を構えクリスに躍りかかるが、結果は同じことだった。

 

「剣の基礎を思い出せ。お前は学園で何を習った? ルル・ラ・シャルロットの猿真似ではないはずだ」

 

 再び挑みかかり、退けられる。そしてまた立ち上がる。

 

「綺麗に戦おうとするな。ルル・ラ・シャルロットは実力が並外れているからそういう戦い方ができるのだ。お前は弱いからそれができない。であれば、どうやって戦う? 例えばこういうふうにだ」

 

 ナナの足下から耳をつんざく破裂音が轟いた。同時に、大広間一杯に濛々とした白煙が立ち籠める。クリスが煙幕玉を投げつけたのだ。瞬く間にナナは行動不能に陥っている。

 

「実力の差は戦術で補う。こういう戦い方も正解のひとつだと覚えておけ」

 

 煙幕に紛れ、至近距離にまで迫ったクリスがナナの首筋に刀の刃先を宛がっている。実戦ならチェック・メイトという状況だ。

 

「最も重要なのは、お前自身のメイド道を自分の力で見出し、奥義に開眼することだ。ルル・ラ・シャルロットに憧れるのは結構だが、ルル・ラ・シャルロット自身になろうとするな。お前の場合、行きすぎた憧憬は剣を曇らせる要素になりうる」

 

 あの気高さを見習うのは良いだろう、だが真の天才たる彼女の剣筋はコピーしようとしてできるものでは到底ない、肝に銘じろ——とクリスは言う。

 

「じゃあ、どうすれば良いっていうんですか……」

「私が直々に鍛え直す。かつてこの里で学んだことすべてを、お前に一から叩き込んでやる。それを血肉とし、自らのメイド道の礎としろ」

 

 クリスは刀を鞘に収めつつ言った。

 

「知っているか? モミジの家系はニッポンの徳川幕府に仕えた御庭番衆——ニンジャをルーツとしているらしい。私もその技を授かった者のひとりでな。ニッポンの武道は基礎を非常に大事にする。そうだな……まずは素振り千回からだ」

「……へ?」

 

 ——この言葉とともに、ナナにとっての地獄の特訓が本格的に幕を開けたのであった。

 

 ~~~

 

 王立ファルテシア学園寮。その談話室の片隅にあって、シエナ、ノフィ、マリエールの三人が集まっていた。既に寮生の皆は寝静まった深夜である。特訓最終日を終え、くたくたに疲れ果てた仮ライセンス持ちの生徒たちなどは、特にぐっすりと眠っているような頃合いだろう。

 

「具合はどう?」

 

 シエナに向けて、三人分の紅茶を持ってきたノフィが言った。

 

「二、三日休んだらケロッと治っちまった。頑丈な自分の身体が恐ろしいよ」

「常人であれば長期の戦線離脱は避けられない猛毒だったというのに、あなた本当に人間ですか……」

 

 マリエールは半ば呆れ加減だ。

 

「フィオナのやつは?」

「彼女も既に復活したそうです。あの〈シックス〉という者への復讐に燃えているのだとか」

「あいつもあいつで頑丈だねぇ」

 

 アハハ、とシエナは笑って言った。

 

「で、妹さんの様子はどうなのです」

「憑きものが落ちたみたいな顔をしてたよ。エリザベート様と毎日実戦さながらの訓練をやってる。まぁ、ジュリアの素質はあたしなんかよりよっぽどあるんだ。これからどんどん伸びて、強くなっていくだろうな」

「一年生の有望株筆頭、というわけですね。さすがはエインフェリア家の血筋です」

 

 マリエールがティーカップを持ち上げながら言うと、シエナは少しだけ寂しそうな顔を浮かべた。

 

「アインフェリア家のために戦うことを運命づけられた一族だからな。いわば戦闘一族だ。血の因業ってやつではあるが、素質だけなら妹が一年生では一番だろうな。あのナナって子も、根性があってあたし的には好きだけどね」

「シエナも学科生のときは凄かったよね。一年生のときから剣術とか格闘技の試合で上級生を圧倒してた」

 

 ノフィが言うと、「それでも、ルルだけには勝てなかった。あいつは本当に特別だよ」とシエナは応える。

 

「あいつとの付き合いも長いけどさ、負けたとこなんてたった一度しか見たことない。ほら、いつだったか〈エスパティエ〉の試験を受けたとき、いただろ。シャルル・ド・アントリーシュ——人呼んで史上最強の〈王宮〉メイド」

「ルル・ラ・シャルロットvsシャルル・ド・アントリーシュ。空前の対戦カードだって、試験場にすごい数のギャラリーがいたよね」

「結果はルルの敗北。彼女にとって、あれが唯一の敗戦ですよね。そして、ルルは負けて更に強くなった」

 

 ノフィ、マリエールの言葉に、シエナは首肯を返す。

 

「結局、敗北がひとを強くするのさ。あの天才、ルル・ラ・シャルロットであってもな。だから学科生諸君はこれからもめげずにやっていって欲しいと思うわけだが——マリエ、芽のありそうな子はいたか?」

「リン・ファンとカエデという子は、なかなか筋が良さそうでした。リンは清からの特級特待生、カエデはモミジさんの娘さんですから、納得という次第ではありますが」

「そういや、あのリサって跳ね返りっ子とひと悶着起こしたと聞いたんだが?」

 

 からかい混じりにシエナが言うと、マリエールはわずかに渋面を作った。

 

「彼女はまだまだ子どもですね。きっと地元では優秀な子であったのでしょう。この学園はエリートの集まりです。秀才であればこそ、周りにいる子たちと自分を比較し、不要なコンプレックスを抱いてしまうものです。彼女はそのタイプかと思います」

「つまり、昔の自分を思い出すって?」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、ノフィが言う。するとマリエールはいかにも不機嫌そうにそっぽを向いた。

 

「確かに私も昔は子どもでした! ルルやシエナに勝てないあまり、むきになっていたこともありましたが、今さら蒸し返すなど意地が悪いにもほどがあります!」

「マリエはすっごいプライド高かったからな。キッツいトゲだらけの性格も、磨けば丸くなるもんだ」

 

 シエナが笑い声とともに応じた。

 

「しかし、敗北がひとを強くするというのはその通りです。ルルやシエナに負けたとき、私はこう思ったのです——驕(おご)るな、自分の実力を直視し、研鑽を続けろ、と。自分より優れた者と切磋琢磨できるこの学園は、学科生たちにとって間違いなく最良の環境であるはずです」

「ま、あの子たちも、そう思ってくれると良いんだがな——」

 

 ノフィは茶菓子を取りに席を立った。と、そこで階段の陰に座り込んでいる人影を発見する。リサであった。

 

「どったの?」

 

 声を掛けると、リサははっとした様子で顔を上げる。泣き腫らしているような目をしていた。

 

「ひょっとして盗み聞きかな?」

 

 リサはこっくりと頷いた。

 

「聞いての通りだよ。マリエだって昔は君みたいな気の強い子でね。ルルとシエナに負けては泣いて悔しがっていたんだ——だから、誰しも最初から一人前になれるわけじゃない」

「……」

「積み上げた努力は必ず応えてくれるはずだから、ま、めげずに頑張ることだね」

 

 と、その瞬間、「つ、疲れたーーーーーー!!!」という大声が談話室に轟いた。何ごとかとノフィとリサは声のした方へ視線をやる。するとそこには、ボロボロになった制服を纏ったナナが、大荷物を抱えて玄関先へ倒れ伏していたのであった。全身かすり傷だらけ。ほとんど遭難者のような出で立ちである。

 

「生きてる……わよね」

 

 倒れたままぴくりとも動かなくなったナナを指先でつつきながらリサが言う。すると次の瞬間、がばりと起き上がったナナはリサへ抱きつき、目にうるうると涙を溜めて「ニンジャ! ニンジャコワイ!」などと不明瞭なことを口走りはじめた。何がなんだか分からないながらも、リサはナナの頭を「よしよし、怖かったね」と撫でてやるほかないのであった。

 

「こりゃ里で相当しごかれたな……」

「モミジさんも鬼畜なことをなさりますわね……」

「ま、生きて帰ってきただけマシじゃない?」

 

 シエナ、マリエール、ノフィは、ナナの様子を見ながら口々に言う。

 

「それにしても、この子が次代の〈切り札〉ってモミジさんの話、眉唾じゃないと良いのだけれど……」

 

 溜息交じりにマリエールが言う。しかし、その問いに対する答えを、シエナもノフィも、まだ持ち合わせてなどいなかった。

 

 ~~~

 

 ロンドンは今日も曇り空だ。都市のあらゆる汚濁を呑み込んだテムズの河は黒く濁り、その上を往く汽船や、遠く乱立する幾重もの尖塔は幻影がごとく霧に煙る。ロンドン塔の門を潜る馬車の席上にあって、ペネロペが新聞の見出しへ目を落とすと、ファルテシア国王即位七〇周年の式典を報じる記事と、親王派と反国王派の小競り合いを報せる記事が視界に入った。

 街は式典のパレードの真っ最中で、祭りに浮かれた人びとが鈴なりになっているが、しかし一方では国王の退位を求める者たちが暴徒と化し、警察と暴力沙汰を起こす騒ぎも起きている。この辺りの様子は平和そのものだが、低所得階級の多いイースト・エンドなどでは暴動が活発化し、多数の怪我人さえ出る騒ぎとなっているらしい。

 いままさに王国が半分に割れつつある、とペネロペは感じた。国王の外交方針に異を唱えるウェインライト卿ら強硬派議員の活動はウェストミンスターの一件以来活発化し、民衆を扇動することで暴動の引き金さえ引くに至ったのだ。式典などやっている場合ではなかろうに、とは思うものの、しかし権力誇示に拘る国王のことだ。このような状況でこそ即位七〇周年式典を強行することに意味がある、くらいのことは考えていそうだとペネロペは思った。

 

「やはり、街中には警備の兵が多いですね」

「いつどこで民が暴発するかわからないのだから当然の措置だろう。こんな状況で式典を強行するなど、現場の兵たちにとってはたまったものではないがね——」

 

 ロンドン塔でペネロペを出迎えた〈レイヴン・マスター〉は、そう言って監獄へ続く道を先導する。

 

「ロンドン塔の警備も、いつもより手薄になっておる。街のそこかしこで民衆の騒乱や小競り合いが起きているからな。警察(ヤード)からの応援要請でビーフィーターさえ駆り出されている始末だ」

「国王陛下は民の抗議を力ずくで抑えつけて、式典をつつがなく執り行う——権力誇示もここまでくると「よくやるよ」としか思いませんが」

 

 使い古した鉄製のスーツケースをいかにも重そうに運びつつペネロペは言った。監獄の入口を守る衛兵(ビーフィーター)たちが、〈レイヴン・マスター〉とペネロペに道を開ける。

 

「ハバート君。まだその『仕事』を続ける気かね」

「ええ、特に今回のは〈円卓(サーカス)〉たっての依頼でして」

「優しい君の天職が、まさか王国一の尋問官とは……」

「慣れています。仕事ですから」

 

 そう言って、ペネロペは受付で看守から独房の鍵を受け取っている。

 

「護衛を二人つけよう。あの囚人は何か危険な匂いがする。用心に用心を越したことはあるまい」

「感謝致します」

 

 屈強な衛兵二人を引き連れ、ペネロペは地下の独房へ続く階段を降りてゆく。滞留した湿気と得体の知れない臭気が充満したそこは、まるで地獄そのものといった風情である。方々にある鉄格子の向こうからは、呻き声を上げる者、何ごとかを呟く者などがおり、ペネロペたちが通るたび虚ろな視線を向けてくる。この先にある回廊の突き当たりに、目当ての独房があるはずだった。

 

「よぉ、遅かったじゃんか。〈鍵師(キー。メイカー)〉さん?」

 

 ペネロペが独房の前に立つや、中に収監された〈エース〉ことアビゲイル・アークライトは、椅子に革ベルトで固定された格好のまま不敵な笑みを浮かべて言った。薄汚れた前髪の隙間から、右目から頬にかけて縦へ真一文字に刻まれた傷が覗いている。そして顔のそこかしこには看守たちから殴打されたような痕があった。苛烈な尋問を受けたためだ。しかし、アビゲイルは今日に至るまで雇い主や仲間の情報を一切口にしなかったという。

 

「——まだ喋る気にはなりませんか」

「俺が何をお前らに喋るって? 仲間を売るなんざメイドの名折れだ。お前を雇った主人を言え、と言われて殴られもしたが、この通り終始だんまりを貫いたよ。どうだい? 主人を守るメイドの鏡ってやつだろう? まぁメイドとはいっても、所詮俺はコミュニア徽章を棄てた〈闇メイド〉だがな」

 

 饒舌に喋るアビゲイルの口調からは、拘禁と尋問によるストレスなど微塵も感じない。やはり元諜報員。耐尋問ともなればお手の物かとペネロペは思う。

 

「喋る気がないのなら……力ずくで喋らせるまでだ」

 

 独房の鍵を開け、ペネロペは内部へと踏み込んだ。片手に持った鉄製のスーツケースを卓上に置き、中身をわざと見せつける。満載された拷問器具。使い古されたそれらのひとつを手にとって、ペネロペは言う。

 

「こいつは〈サム・スクリュー〉って拷問器具だ。指の骨を『締め砕く』のに使う。大ドイツの女帝マリア・テレジアが生み出した器具なんだとか」

 

 脅しを目的として禍々しい造形の器具を見せつけるが、アビゲイルは動じない。それどころか、大声を上げて笑いはじめる。

 

「おいおいおいおい! 仮にもお前と俺はメイド学科の同窓生なんだぜ? 元クラスメイトにそんなヒドいことしていいのか〈鍵師(キー。メイカー)〉さんよ? え?」

 

 ペネロペはアビゲイルの髪をひっ掴み、鬼気迫る形相で鼻面を寄せる。

 

「いまさら僕に同級生ヅラなんかするなよ。学園きっての秀才だったあなたが、ここまで堕ちた姿なんか見たくはなかった。だけれど——国を裏切り、メイド道に背き、一体何を企んでいるのか、その理由を確かめる責務が僕にはある」

「〈協会〉職員としての責務ってやつか。ま、俺に言わせりゃお前ら正規のメイドは国から体良く使われてるだけの走狗に過ぎんさ。ほら、犬なら犬らしく鳴いてみろよ、ワンワンってさ」

「犬というのならあなただって同じだ。あなたを含む〈ジョーカー〉配下の十四人のお仲間だって、どこかの誰かの手駒として使われているだけの走狗に過ぎない」

 

 ペネロペは額を更に寄せて言う。ほとんど噛み付かんばかりの勢いだった。しかしアビゲイルは動じてなどいない。

 

「ほう、じゃあお前ら〈協会〉は既に〈ナンバーズ〉の存在まで辿り着いているってワケだ。調査熱心だねぇ。感心感心」

「このカード——一体これは何だい。何かの符牒であることまでは調べがついているんだ」

 

 掴んだアビゲイルの髪を放し、ペネロペはローブの懐から一枚のカードを取り出した。ほとんどぼろ切れ同然となった〈エース〉の柄が刻まれたトランプだ。

 

「——返せよ。そいつはただのトランプのカードじゃないぜ。俺にとって命よりも大事なモンだ」

「〈ジョーカー〉から与えられたものだから?」

「ああそうさ、〈ジョーカー〉の姉御は俺たち〈ナンバーズ〉に属する者にとっちゃ王であり、師であり、母であり、姉であり、あるいはそれらのすべてに他ならない。お前だって肉親からの贈り物は後生大事にするだろう?」

 

 そいつはな、とアビゲイルは〈エース〉のトランプに視線をやる。

 

「そいつは俺のアイデンティティそのものだ。アビーなんて名で呼んでくれるな。いまの俺の名は〈エース〉だ。死んだアビゲイル・アークライトに代わって、〈ジョーカー〉が俺に与えてくれた名前が〈エース〉なのさ」

「〈ナンバーズ〉と言ったな。その〈ナンバーズ〉なる組織を率いているのは〈ジョーカー〉だと?」

「そうだ。〈ナンバーズ〉は強いぞ? アンタらご自慢の〈フォルセティ〉よりずっとな」

「あなたたちの目的は何だ。なぜ大ドイツの工作員を名乗り、ウェインライト卿を襲った」

「さぁな。でもまぁ、元同級生の仲だし、特別に教えてやるのもやぶさかじゃない。〈ジョーカー〉の存在に辿り着いた褒美だってくれてやってもいいかもだ」

「……」

 

 ペネロペは無言でアビゲイルを睨み据える。かつての学舎で慕った先輩ではあったが、しかしいまは純然たる敵に他ならない。シエナを毒で殺しかけたのだから、いまさら情けなどかけるつもりは毛頭なかった。少しでもだんまりを決め込もうものなら、鞄に満載された拷問器具を本気で使うつもりでさえいるほどだ。

 そんなペネロペの心情を知ってか知らずか、アビゲイルはなおも小馬鹿にしたような口調でこう続ける。

 

「知りたいか? 俺たち〈ナンバーズ〉の目的をよ」

「御託はいいからさっさと話せ」

 

 おお怖い怖い、とアビゲイルは言う。

 

「——いいか、まず一つ目の目的は反国王の騒乱の誘発だ。侯爵閣下を襲ったのは、すぐそこにある大ドイツの危機ってやつを脳味噌の足りねぇファルテシアの臣民どもに教え込んでやるためさ。やつらは事実の如何なんて気にしない。強硬派のお偉いさんが暗殺されかけたってニュースさえ流してやりゃ、導火線へひとりでに火がついてくれるって寸法だ」

 

 アビゲイルはひどくいびつな笑みを浮かべている。

 

「いまごろ国王や〈円卓(サーカス)〉の連中は内心穏やかじゃないだろうな。外交の既定路線が崩れかけてるんだ。ここで火薬庫になるのは何だと思う?」

 

 軍だよ、とアビゲイルは言う。国王の軍縮路線を是が非でも頓挫させたい軍内部のタカ派だよ、と。

 

「仕込みは既に十分だ。あとはファルテシア王国軍っていう巨大な火薬庫がド派手に炸裂するのを見ていれば良い。導火線は燻り切って久しいんだ。きっと綺麗な花火が見られるぞぉ?」

「真の目的は……軍の反乱。クーデターの誘発……!?」

 

 ペネロペはにわかに瞠目した。〈ナンバーズ〉なる符牒が軍特務機関の極秘資料に記されていることまでは、モミジ、アヴリルらの指令による調査のもと既にあたりがついている。そして〈ナンバーズ〉なる組織が〈ジョーカー〉を名乗る者により率いられた〈闇メイド〉からなる部隊であるのだとしたら、この国でクーデターを誘発したい何者かの思惑が間違いなく介在している。

 

「お前らが思ってる以上に、軍内部では大ドイツとの全面戦争を望む者が多くいるんだ。俺たちはその手助けをしてやったまでさ。『ご主人様』の命令でね」

「あなたたち〈ナンバーズ〉の雇い主は誰だ。大ドイツ——いいえ、違う。あなたたちの雇い主は『王国内の何者か』だ。こっちはもう、そこまで調べがついているんだ」

 

 キヒヒ、という不快な笑い声が独房に響く。

 

「そこまで教えてやる義理は、さすがにないね——と、そろそろ頃合いかな」

 

 にまりと口の端を歪ませてアビゲイルが言う。同時に、ペネロペは背後に何者かの気配を感じ取った。

 

「じゃあね、寝癖がチャーミングな同級生クン」

 

 背中に熱の塊を感じ、少し遅れて鋭い痛みがやってくる。ペネロペはおびただしい量の血を吐き、目から光を失わせると、その場に膝を突いて崩れ落ちた。何が起こったのか認識する間もない出来事だった。胸を剣で刺し貫かれたことなど、ペネロペ自身は知る由もない。

 

「遅いぜ、姉御——危うく拷問されてイジめられるところだったじゃないか」

 

 アビゲイル——いや、〈エース〉が言うと、目の前に立つ〈ジョーカー〉が剣に付着した鮮血を振り払った。彼女の足下には、背中から袈裟斬りにされ血の海に横たわるペネロペの姿がある。〈協会〉職員であることを示す純白のローブは、いまや赤黒い血に染まっていた。それにしても〈ジョーカー〉は一体いつ独房内部へと入ってきたのか。本気で気配を消した〈ジョーカー〉ともなれば、〈エース〉程度の実力では認識などできようはずもない話ではあったが、しかし見事なサイレントキルだ。

 

「制圧に少しだけ時間がかかった。ロンドン塔は広いからな」

 

 〈ジョーカー〉はこともなげに言う。ふと独房の外に目をやると、屈強な衛兵二人が倒れ伏している様が視認できた。外から衛兵たちの応援が駆けつける様子はない。まさか、堅牢無比な大監獄たるロンドン塔を〈ジョーカー〉はたったひとりで制圧した上でここへきたのか? あまりの途方もなさに〈エース〉は思わず爆笑した。やはり〈ジョーカー〉は最強のメイドだ。このメイドに敵う者など誰一人いないだろうと確信できるほどの、途方もない強さであった。

 

「さあ、行こう。〈エース〉」

 

 剣の一振りで、〈エース〉を拘束していた革ベルトがものの見事に裁断された。自由の身となった彼女は血だまりに落ちたトランプのカードを拾い上げ、独房をあとにする〈ジョーカー〉へと付き従う。

 

「まずはロンドン塔の制圧が完了。すべての首尾は完璧だ。〈賭場(テーブル)〉は間もなく開かれる——」

 

 〈ジョーカー〉が言うと〈エース〉はこのように応えたものだった。「そいつは大いに楽しみだ」と。

 

 ~~~

 

「やられた——敵に先手を取られたな」

 

 早馬の報告を受けるなり、苦々しげにアヴリルは言った。ここは学園内の執務室。応接用の椅子にはノーラがいて、〈フォルセティ〉の四人もいる。本来であればペネロペによる尋問の結果を待ってから〈闇メイド〉討伐に向け〈フォルセティ〉が動く手はずであったのだが、しかし敵はあろうことかロンドン塔をいの一番に制圧し、決起した軍の一部勢力がロンドン市内のか各要所を占拠して回っているという。そんな報せが、いましがたアヴリルのもとに入ったところであった。しかもペネロペの安否は依然として不明である。

 

「警備が厳重になる式典の最中に敵はロンドン市内で行動を起こせない……そういう読みだったのだけれど、読み負けたわね」

 

 〈協会〉情報部からの報告書を見つつ、ノーラが言った。

 

「モミジさんの言うとおり、侯爵暗殺未遂のバックに王国内の誰かがいたのだとしたら——ってことで、クーデターの可能性は指摘されていたはず。軍内部の監視と内偵も強化されていたはずでしょ? 軍はなぜこのタイミングで行動を起こせたの?」

「やつらの動きを手引きした者が必ずいる。クーデターのための露払いを担った者が、必ずな」

「侯爵を襲った〈闇メイド〉の連中ね」

 

 ノーラは結論を先回りする。アヴリルは「可能性は高い」と頷いた。

 

「いずれにせよ〈協会〉の指示を待っている時間はないな。事案へ対処するにあたり、我々はすぐさまロンドンへ向けて発たなくてはならない。市内の複数箇所を同時に奪還することを求められる、きわめて高難度なオペレーションだ。成功は〈フォルセティ〉四人の動きに懸かっている——やれるか」

 

 ルル、シエナ、ノフィ、マリエールの四人は、いずれも気合い充分といった具合に頷いた。

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