第22話

​「激突」

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 かつて、〈大戦〉と呼ばれた大戦争があった。ヨーロッパ中に破壊と大量死をもたらした忌まわしき戦(いくさ)だ。

 きっかけは十七世紀中盤にまで遡る。当時の南北ドイツではプロテスタントを国教とした大統一国家形成の機運が高まっていた。そこで南ドイツの王フェルディナンド五世は、北ドイツ有力諸侯との婚姻で同君連合を形成し、大統一国家設立の第一歩を踏み出そうとしたのだ。

 これに対し、フランス王国とイタリア王国は異を唱え軍事的な介入をはじめた。更には極北欧同盟や東欧の大国であるポルスカ・リトフスカ連合王国もフランスおよびイタリアと歩調を合わせ、フランスと不仲のスペイン、東欧の領土を狙うロシア帝国の参戦もあり、ファルテシア王国を除くヨーロッパ全土を巻き込んだ四半世紀にも渡る〈大戦〉が勃発したのだ。

 〈大戦〉は次第に泥沼化し、散発的な争いはおよそ四半世紀のあいだ続くことになった。こうした長きに渡る戦乱がもたらした社会不安はきわめて大きく、しわ寄せは貴族にまで及んだ。〈大戦〉で中立の立場を貫いたファルテシア王国とて、そうした事情は例外ではない。

 当時、民衆により危害を加えられる貴族は多く、そうした各々の貴族が雇うメイドが巻き込まれる事態も増大していた。これが各国〈メイド協会〉によるメイドの労働条件管理と、メイド自身の武装化へと結びついてゆくことになるのは、周知の通りだ。

 その頃の社会通念はこうだった。曰く「男は軍人として戦うもの」。であれば、戦場へ赴く男たちの人手を貴族たちが借りるわけにいかないのは当然であり、しかるにメイドが自らの雇い主たる貴族を守るために武装化するのは自然な流れであったといえよう。

 そうした次第もあり、〈大戦〉による疲弊を欧州において唯一免れたファルテシア王国は、メイド先進国として揺るがぬ地位を確立した。強く賢く美しいメイドを育ててきたメイド先進国振りに習うため、各同盟国は優秀なメイド候補生たちをファルテシア王国へ競うように留学させるようになるのも、当然の帰結であった。

 そしてフランス生まれのルル・ラ・シャルロットも、そんな優秀なメイド候補生のうちのひとりだった。彼女は祖国の学校を主席で卒業し、エリート揃いである王立ファルテシア学園のメイド学科も当然のようにトップの成績で卒業した。学園卒業生有数の天才。そんな呼び声さえも聞こえるほどの成績であった。

 

「ウチにこない? あなた、鍛え甲斐がありそうだもの」

 

 モミジなる日本人に声を掛けられ、ヘレフォードの〈里〉に呼ばれたルルは、そこで修行の日々を送ることになる。だがルルは本物の天才だ。どんなに困難な課題をやらせても完璧以上の精度でこなしてみせた。師であるモミジは「教え甲斐がない」とまで嘆いたほどだ。

 王都から腕利きの〈王宮メイド〉たちが教官役として呼び寄せられ、ルルと剣を交えたが、勝てるものは誰ひとりとしていなかった。

 

「シャルルはどうかな? シャルルなら、ルルに勝てるんじゃないか」

 

 最初にそう言ったのは誰だったか。いまとなっては定かではない。確かなのは、そうした何者かの提言を面白がったモミジが王都から実際にシャルル・ド・アントリューシュを呼び寄せた事実、そしてシャルルと立ち合ったルルが生涯はじめての本気を出し、敗北を喫した事実、それだけである。

 これが敗北の味か、と当時のルルは思ったものであった。とても苦い味がした。それは口の中を切ったときに出た血の味であったのかもしれないし、地面へ組み伏せられた際に噛んだ土の味であったかもしれなかった。

 このひとに勝ちたい——ルルがそうした気持ちをシャルルに対して抱いたのは、至極当然のことであった。彼女は能力が突出しすぎているあまり、ライバルと呼べる存在はおろか、目標と呼べる存在さえ持ったことがなかったのだ。生涯初の敗北はルルの心に鮮烈な炎を灯したのである。

 ルルを負かしたメイドの名はシャルル・ド・アントリューシュ。〈エスパティエ〉の中の〈エスパティエ〉だ。そんな彼女に勝ちたいというルルの気持ちは、やがてシャルルのようなメイドになりたいという憧れへと転化した。

 憧れ——あれは果たして「憧れ」程度の生易しい言葉で片付けることができたものなのだろうか、とルルは思ったものだった。憧れという言葉で表現するには、当時のルルの気持ちは鮮烈にすぎた。敢えて換言するのであれば「執着」「嫉妬」あるいは「恋慕」。それくらい強い言葉で表現しなければならないような、強烈な気持ちに相違なかった。

 無論、そんなあれこれは言葉の綾でしかないのはルルにとっても承知の上だ。その上でなお、自分に初めて土をつけた相手——シャルル・ド・アントリューシュのことばかりを考え、ルルは己を追い込み、厳しい修行の日々を鬼気迫る勢いで黙々とこなし、そして更なる高みへのぼっていった。

 たったひとりの人間に執心するというのはルルにとっても生まれてはじめての経験だったし、〈フォルセティ〉の皆にさえもそうした気持ちを抱いたことがなかったのだから、気持ちの整理のつけ方がわからなかったという側面もあったであろう。

 あの敗北以来、ルルはシャルルの幻影を追い続けている。

 シャルルが失踪して以降、その想いは強くなる一方だった。何しろ本気を出せる相手がどこにもいない。ルルは人知れず、やり場のない想いを持て余していた——。

 

「嬉しいぞ、ルル・ラ・シャルロット——!」

 

 そして現在。

 鍔迫(つばぜ)り合いの至近距離で、ルルはシャルル・ド・アントリューシュの声を聞いている。

 渾身の一撃はいとも簡単に防がれた。何手もの布石を打ち、確実に仕留められる隙を作ったはずだったが、シャルル・ド・アントリューシュ——いや、〈ジョーカー〉には届かない。

 

「お前と戦える日を待ち侘びていた——!」

 

 凶悪な笑みとともに〈ジョーカー〉が発する歓喜の声。それを聞き、ルルの背中に汗がひとすじ伝い落ちる。いまの彼女は以前の彼女よりもずっと強い。それを認めざるを得なかった。

 

「なぁ、聞いてくれ、ルルよ——」

 

 〈ジョーカー〉は問う。ルルはバックステップで間合いを外して再び体勢を立て直した。しかし、そんな暇(いとま)さえ〈ジョーカー〉は与えてくれない。

 

「これまでの日々は虚無でしかなかった。大ドイツとの汚い戦争を戦うだけの闇メイド稼業など、私にとっては虚無でしかなかったのだ——」

 

 鬼気迫る速度で〈ジョーカー〉が一気に間合いを詰めにかかる。常人では見切れぬほどのスピードであった。しかし、ルルはまるでステップでも踏むかのように〈ジョーカー〉の側面へ回り込み、回避動作を終えている。敵の動きを見ての行動ではない。相手の一手先、二手先を読み切った上での動きであった。その読みの精度たるや、尋常ではない。

 

「私は願った。再び強敵と相まみえ、死力を尽くした戦いへ臨むことを。そして私に比肩しうる実力を持ったメイドはお前を置いて、他にはいない。わかるか? 私の願いを充足させてくれる存在は、お前を置いて他にないのだ、ルル・ラ・シャルロット——!」

 

 ルルの振るった剣先が一瞬のうちに搔き消えた。いや、消えたのではない——常人の動体視力では到底捉えきれないほどの速度で剣を振るったのだ。しかも急所を狙った死角からの一撃だ。普通であれば、回避や防御など絶対に不可能な攻撃であった。

 

「嬉しいぞ。〈里〉で剣を交えたあの日を覚えているか? あの日、お前はいつか私を超える逸材になると確信したのだ。それがどうだ。いまのお前は私の想像を超えて強くなっているじゃないか——」

 

 剣と剣が凄まじい速度でぶつかり合い、衝撃波がビッグ・ベン全体をミシミシと揺らす。まるで地鳴りのような音が響いた。

 回避不能の攻撃をとてつもない反応速度で受け切った〈ジョーカー〉は、その美貌にいびつな笑みを浮かべていた。彼女は堪えがたい歓喜に震える声音でこう告げた。

 

「さぁ、ルル。思う存分殺し合おう。お前の本気はまだまだこんなものではないはずだ。慈悲はいらない。私を殺すつもりでかかってこい——」

 

 ~~~

 

 状況はこうだ。まず軍の一部勢力が決起をし、ロンドン市街を封鎖、武力でもって占拠した。彼らの目的は国王の退位を要求することに相違ない。

 そうした軍の決起をお膳立てしたのは〈円卓(サーカス)〉が一角、〈ハート〉お抱えの秘密部隊である〈ナンバーズ〉だ。彼女たちは大ドイツから奪取した機密文書——王国の戦争犯罪の証拠が記された〈XD(イクス・デー)〉を〈ハート〉に手渡すことで、国王退位のシナリオを完遂させようとしたのだった。

 しかし、土壇場で〈ナンバーズ〉は〈ハート〉を裏切った。〈XD(イクス・デー)〉の交換条件として提示されていた正規のメイドとしての地位、その約束が反故にされることを見抜いたためだ。

 かくして〈ナンバーズ〉は〈プラン2〉を発動させた。目的は王都ロンドンの中核をなすインフラ群の完全破壊。その果てにあるのは、奪還した〈XD(イクス・デー)〉とファルテシア王国への破壊工作成功の報告を手土産とした大ドイツへの政治亡命だ。〈ナンバーズ〉は大ドイツの走狗——いや、テロリストとして、いままさに動こうとしているのだ。

 そして〈スリー〉と〈フォー〉は言っていた。タイムリミットは夜明けだと。〈ナンバーズ〉は夜明けまでにロンドン要衝に対する破壊工作を完遂させるつもりなのだ。

 

「それまでに何とかしなきゃ、取り返しのつかねぇことになる」

 

 〈スリー〉は皆に言ったものだった。〈ナンバーズ〉が破壊対象としている四箇所——ビッグ・ベン(議事堂)、コヴェント・ガーデン、王立裁判所、イングランド銀行。これらを同時奪還するオペレーションがいままさに求められているのだ。

 

「〈シックス〉が大量の爆薬をロンドン市内に持ち込んでいる。爆破による破壊工作を実行するためのモンだ。わかるか? 議会と王立裁判所が吹っ飛ばされて、中央銀行にある大量の紙幣と金貨が消し炭にされる。そんでもってコヴェント・ガーデンの市場には毒が撒かれる。王都ロンドンは主要なインフラに壊滅的なダメージを負うことになるだろうな」

 

 重々しい響きを伴った〈スリー〉の言葉に、場の皆が皆押し黙る。

 

「市外からの増援はいつ到着する?」

 

 アヴリルが副官役のノーラに問うた。

 

「到着を待っていたら夜が明けるね」

「市内の残存戦力で何とかするしかなさそうだな。〈銃殺大隊(バタリオン)〉の損耗は?」

「〈ジョーカー〉たちの追跡に当たらせた部隊の損耗がかなりひどい。再編成の時間が必要だ」

「即応は無理、か」

 

 深々とした溜息をアヴリルは洩らす。〈円卓(サーカス)〉の施設を襲撃した〈ジョーカー〉らの行方を追っていた〈コミュニア〉精鋭部隊〈銃殺大隊(ガンスモーク・バタリオン)〉——仮ライセンス試験の事件においてナナたちの窮地を救ってくれた部隊だ——は、〈ナンバーズ〉幹部クラスと交戦し、甚大なダメージを負っていたのだ。動ける者の再編成と負傷した者の治療で、しばらく時間を取られるのは確実な状況であった。

 

「やむを得まい。この場にいる者だけで編成を組む。各破壊目標に対する〈ナンバーズ〉の配置状況は?」

「〈ジョーカー〉〈テン〉〈ツー〉がビッグ・ベン。〈キング〉〈セブン〉〈エース〉が王立裁判所。〈クイーン〉〈ファイブ〉〈シックス〉が中央銀行。そんで〈ジャック〉〈エイト〉〈ナイン〉がコヴェント・ガーデンだ」

 

 〈フォー〉がよどみなく答える。〈ナンバーズ〉の伝令役、カラスのフリードリヒから手渡された暗号文書を彼女はひらひらとかざし、皆の視線がそれに集まる。

 

「さきほどの話からすると、想定される破壊工作の方法は爆弾と毒物か。厄介だな」

 

 しばしアヴリルは黙考し、そして言葉を継いだ。

 

「ではこうしよう。マージョリーとクリスはビッグ・ベンに向かえ。ルルの掩護を頼む。ナナとニコルも連れて行け。三人がかりで〈ジョーカー〉を一気に叩け」

「了解した」

 

 アヴリルの指示に執事服の〈エスパティエ〉——大剣を担いだマージョリーと二本の日本刀を手にしたクリスが首肯する。その傍らに立つナナは、にわかに緊張を覚えた。いまビッグ・ベンでは、おそらくルルがたったひとりで〈ジョーカー〉なる敵と戦っている。そんなルルの救援が自分たちの班に課せられた任務なのだと自覚すれば、緊張しないはずがなかった。

 

「シエナはエリザとジュリアを連れて中央銀行へ向かえ。ノフィはリンとカエデを連れてコヴェント・ガーデンへ。マリエはリサとユスティーナと王立裁判所だ」

「合点だ」

「わかった」

「了解いたしました」

 

 矢継ぎ早の指示に、シエナ、ノフィ、マリエールの三人が首肯を返す。

 

「各班は〈ナンバーズ〉と遭遇し次第各個撃破を徹底すること。夜明けまでに敵の戦力を完全に削ぐ。爆弾の処理も滞りなく行え——で、お前たちはどうする?」

 

 鋭い視線で、アヴリルは壁際に立つ赤髪の〈スリー〉と銀髪の〈フォー〉を見た。

 

「私は狙撃手(スナイパー)だ。後衛の優位位置に隠れて敵を撃ち抜くのが役目さ。だから、どの班についていくかって話になりゃ、狙撃手が活きる環境に行く班がいちばん良い」

「コヴェント・ガーデンだな。あそこなら隠れられる場所はいくらでもある。相手は〈ジャック〉になるな。やれるか?」

 

 〈スリー〉が〈フォー〉に問いかけると、〈フォー〉はうっそりと頷いた。

 

「やれるさ〈スリー〉。お前と一緒なら、必ずやれる」

 ~~~

 

「〈スリー〉と〈フォー〉が招集へ応じないそうだな」

「はい。あの二人からの応答がないのです」

 

 ビッグ・ベンを見上げる議会のエントランス前を歩きながら、ロングソードを担ぐ〈テン〉——オルガ・J・エインフェリアが、傍らの〈ツー〉——ローザ・フロイデンタールに声をかけた。

 

「フン……裏切りか、はたまた敵前逃亡か」

 

 そう吐き捨てる〈テン〉は、整った鼻筋と青年同然に刈り込んだ紫の髪、それなりに高い背丈が特徴的な少女だった。かたや〈ツー〉は幼さを残す顔立ちにウェーブがかったミドルの金髪、背丈は〈テン〉の二分の三もない。両者の容姿は実に対照的であった。

 共通する点は、互いが身に着けている軍服めかした漆黒のメイド服——〈ナンバーズ〉の一員であることを示すアイコンだ。

 

「まぁいい。敵を前に尻尾を巻いて逃げ出す弱虫なんか、〈ナンバーズ〉にはいらない。そうだよな〈ツー〉」

「……」

 

 〈ツー〉は黙したまま応えない。彼女の抱えた大きな鳥籠に収められた一羽のカラス——フリードリヒが「カァ」と啼(な)いた。まるで主人のかわりに〈テン〉へ応じるかのような仕草だった。

 と、そのとき。頭上のビッグベンがズンッ、と揺れた。上階で〈ジョーカー〉とルル・ラ・シャルロットが戦っているのだ。戦闘の余波は巨大な鐘楼をも揺るがすほどの激しさを見せていた。

 

「さて、あっちはあっちで〈ジョーカー〉様に任せるとして、仕事へ取り掛かろう。夜明けまでそう時間はない。効率よく手はずを済ませなきゃならないからな」

「……」

 

 〈テン〉の言葉に〈ツー〉はなおも黙したまま応えなかった。

 

「どうした。この期に及んでお前まで怖じ気づいたか」

「いえ……決してそういうわけでは……」

 

 〈ツー〉は言い淀み、鳥籠をきつく抱いた。

 

「何、簡単なことだ。捕らえた議員連中ごと議会の建物を爆破してしまえばことは足りる。お膳立ては〈シックス〉がしてくれたから、あとは導火線に火をつけてしまえばそれまでだ」

「……」

 

 議会では、クーデターの造反兵たちが議員たちや議会職員を大勢監禁しているはずであった。〈シックス〉が用意してくれた大量の爆薬は議会内の柱や基部などそこらじゅうに仕掛けられている。導火線に火をつければ……結果はそれこそ火を見るよりも明らかだ。建物は倒壊し、中に閉じ込められた者たちが大勢死ぬ。そして、ファルテシア王国は回復不能なまでのダメージを負うのだ。

 しかし同時に〈ツー〉は考えていた。これは果たして善き行いであるのだろうか、と。かつて帰るべき家さえも失い、街角で食うに困っていたところを〈ジョーカー〉に助けられて以降、〈ツー〉自身〈ナンバーズ〉には絶対の忠誠を誓っていたはずだった。その気持ちがいま、はじめて揺らいでいる。

 〈ツー〉はスパイの濡れ衣を着せられ家族を殺されてしまった過去を持つ。生家は大ドイツのザルツブルクに屋敷を構える政治家一族であり、〈ツー〉自身、もとはといえば生粋のお嬢様だ。そんな彼女は家に秘密警察が踏み込んできた際、両親の手により逃がされ九死に一生を得た。帰る家を失い、街でストリートチルドレン同然の生活をしていたところ、〈ツー〉は〈ジョーカー〉に拾われ闇メイドとして生きる道を見つけた。祖国への復讐心を胸に、彼女は〈ナンバーズ〉の一員として、ただひたすらに大ドイツに対する破壊工作へ従事した。

 そうした破壊工作を指揮する人物——〈ナンバーズ〉のボス、〈ジョーカー〉は確かに残忍で恐ろしい人物ではあったが、闇メイドたちを率いる長としての矜持があった。〈ナンバーズ〉は「ならず者」にあらず、訓練された規律ある戦士たちの集団だ、と〈ジョーカー〉はことあるごとに言ったものだ。

 それがいまやどうであろうか? 大ドイツの走狗に成り下がり、王都ロンドンを破壊しようとするいまの〈ナンバーズ〉は「ならず者」でなくて何なのか。大ドイツに——秘密警察が民衆を抑圧するあの祖国に亡命を果たしたところで、いったいどんな自由が得られるというのか。〈ツー〉の自問はなおも続く。

 と、そのときであった。唐突に〈テン〉が歩みを止めた。

 

「ほう、これはこれは……」

 

 口元に笑みを浮かべ、〈テン〉は恭しく頭(こうべ)を垂れた。

 

「〈王宮メイド〉の重鎮たるマージョリー・アスクウィス。それに二刀使いの〈紅目のクリス〉。これほどまでの強者がそろい踏みとは……」

 

 〈テン〉と〈ツー〉の眼前に、四人のメイドが立っている。マージョリーとクリス、そしてナナとニコルの四人だ。

 

「そこを通して貰おう。〈テン〉、いや、オルガ・J・エインフェリア——」

 

 身の丈以上もある大剣を携えたマージョリーが眼光も鋭く言い放つ。すると〈テン〉は、一転して憤怒の表情を浮かべて言った。

 

「オルガ・J・エインフェリア——か。私はな、その名で呼んだ者を例外なく殺すことにしているんだ」

 

 下がっていろ、と〈テン〉は〈ツー〉に告げている。

 

「私が引きつける。お前はルルのもとへ先行しろ」

 

 かたやクリスは刀の柄に手を掛けつつ、マージョリーに向けて告げていた。

 

「おいナナ・ミシェーレ」

「は、はいっ!」

 

 クリスから急に名前を呼ばれ、ナナはびくんと肩を震わせる。

 

「マージョリーを行かせたら、私も塔の上へ向かう。こいつの相手はお前がするんだ。何、教えたことを忠実にできれば、負けはしないさ」

 

 ナナは目の前に立つ敵の姿を見据えながら頷いた。〈ジョーカー〉と交戦中と思われるルルを掩護するのが、マージョリーとクリスの役割だ。とすれば、この〈テン〉という敵を相手にするのはナナ自身だ。やれるか……? いや、やるしかない。ナナはついに覚悟を決めた。

 

「いまさらやってきてどうするつもりだ? もう仕込みは全部終わっているというのに、だ」

「どういう意味だ」

 

 〈テン〉の言葉の意味をクリスが問うた。

 

「塔の基部に爆薬を仕掛けた。それだけじゃない。議事堂に仕掛けてある。建物を全て吹き飛ばすほど大量の爆薬をな」

「そうか……なら、お前らを全員倒してその爆薬の導火線に火をつけさせなければいいだけだ」

 

 そう言うクリスに対し、〈テン〉は嘲笑の笑みを浮かべる。

 

「おっと、仕掛けた爆弾には〈シックス〉謹製の仕掛けを施していてな。そうだな……あと一刻、あと一刻で自動的に導火線へ火がつく仕掛けになっている。どうする? もうそんなに時間がないぞ?」

「ほう……では、なおさら急がねばならないようだな」

 

 先に動いたのはクリスの方だ。二本の刀を鞘の中から抜き払い、〈テン〉めがけて躍りかかる。不意を突かれた〈テン〉だったが、しかし振るわれた一撃を難なく防ぐ。両者は鍔迫り合いをしながら睨み合った。

 

「行け! マージョリー!」

「了解した」

 

 言われるが早いか、マージョリーが動いた。地を蹴って駈けながら〈テン〉とクリスの脇をすり抜け、一目散にビッグ・ベンの鐘楼入口へ突入する。

 

「〈ジョーカー〉様のところへ行くつもりか? 無駄だ。あの二人の戦いに割って入ろうなど!」

「何、やってみなければわからんさ」

 

 そう言うなりクリスは鍔迫り合いを解き、足下に何かを叩きつけるように投擲した。煙幕玉だ。

 

「ナナ・ミシェーレ! あとのことは頼んだぞ!」

 

 〈テン〉の視界を塞いだ隙に、クリスの姿が跡形もなく消え失せる。濛々と立ち籠める煙幕の中に、ロングソードを構える〈テン〉の姿が顕わになった。

 

「仮ライセンス持ちのヒヨッ子が相手とは……舐められたものだな……」

 

 凶悪な笑みを浮かべる〈テン〉に、ナナは剣を抜いて相対する。彼女はもはや何ものをも怖れてはいない。怖れを克服する術を〈里〉で身に着けたからであった。

 そんな級友の横顔を見、ニコルは思う。一体どのような経験をすれば、短時間でひとはここまで強くなれるのだろうか——と。

 

 ~~~

 

 中央銀行の内部は静かだった。もぬけの殻という表現こそ、シエナたちの目の前に広がっている光景を表すのに相応しい。

 

「……先導して危険がないか確認する。絶対そばを離れるなよ。どこに敵が潜んでいるかわからないからな」

 

 照明の落とされたエントランスホールの内部を、シエナたちは慎重に進んでゆく。昼間は大勢の職員たちが行き交うはずの広間は闇に包まれ、辺りの様子をうかがい知ることはできない。

 

「待て、止まれ」

 

 シエナはぴたりと歩を止めたかと思うと、その場にすっと屈み込み、足下に張り渡された一本の糸状のものを確認した。

 

「ピアノ線だ。爆弾に繋がっている。トラップの類か……」

 

 あの爆弾魔の仕業だな、とシエナはトラップを手早く解除する。

 

「——そういうことか。各自散開! トラップに注意しろ!」

 

 やおらそう叫んだシエナはバックステップを踏み、その場から俊敏な動きで退避した。暗闇から突如ナイフが飛んできたためだ。

 続けてエリザベートとジュリアが即応し、シエナを掩護できる位置についたときには既に敵が二名、彼女たちの眼前に立っていた。〈ファイブ〉と〈シックス〉の両名だ。

 

「さぁ、第二ラウンド開始といこうぜ——!」

 

 口の端を歪めた〈シックス〉が告げる。目の周りの隈も相俟って、その形相は凄絶そのものだ。

 

「よぉ、怪我の具合はどうだ? そのままだとハンデ戦になっちまうよなぁ」

 

 シエナが〈シックス〉を挑発する。余裕の笑みさえ浮かべたまま。

 

「ほざけ、今度は本気で叩きのめす。目にモノ見せてやんぜ」

「〈シックス〉……突出しては駄目……連携を重視して……」

 

 長身の〈ファイブ〉が〈シックス〉を諫めるように告げる。と、そのときだった。

 

「あらあらぁ? 〈フォルセティ〉のシエナ・フィナンシェさんじゃありませんかぁ」

 

 声とともに、闇の奥から靴音が響いてくる。ランプを手に持った者が、徐々にこちら側へ近づいてくる。暗がりの中で炯々(けいけい)と輝く碧(みどり)の瞳。ゆるく巻いた長い金髪。すらっとした細くしなやかな長身。そして、〈ファイブ〉や〈シックス〉と同じ軍服めかした漆黒のメイド服。

 〈ナンバーズ〉幹部の〈クイーン〉であった。大振りな糸鋸を手にした彼女の全身は、真っ赤な斑模様に染まっていた。大量の返り血を浴びているのだ。

 

「……その血は一体、何なんだ」

 

 低く抑えたような声音でシエナが問う。すると〈クイーン〉は微笑を浮かべ、こう答えたものだった。「作品作りを少々」と。

 

「……作品ってのは何だ」

「ここにいた職員の方たちを『素材』とした『彫刻』です。ご覧になりますかぁ? きっとお気に召して頂けるはずです」

 

 彫刻——それが一体何を意味するのか、知りたくもないといった風情でシエナは憤怒の表情を浮かべ、告げる。

 

「……もういい、お前みたいな外道相手には手加減はなしだ。全力で叩き潰さなきゃ気が済まねぇ!」

 

 ~~~

 

 コヴェント・ガーデンは水を打ったような静けさだった。普段なら大勢の人びとで賑わうはずの市場が、まるでゴーストタウンのような有様である。方々で上がる火の手が、もうすぐ夜明けを迎える闇を朧に照らしている中、ノフィ、 リン、 カエデの三名は慎重に敵の気配を探りながら細い市場の通路を進んでゆく。

 ノフィたちを掩護できる位置を確保した〈スリー〉と〈フォー〉は、後方の建物を屋根伝いに移動しているようだったが、彼女たちは隠密行動に慣れているのか、ノフィであってもその気配を正確に察知することはできなかった。下位序列のメンバーではあるが、さすがは精鋭〈ナンバーズ〉の一員といったところか。

 〈スリー〉と〈フォー〉は言っていた。「〈ジャック〉は危険な存在だ」と。〈ジャック〉は道徳的な善悪の区別ができない人物というのが、その理由だった。気に入らないと思った相手を、やつは蚊でも殺すかのような調子で殺す——〈フォー〉は忌々しげにそう言った。

 彼女の口から語られたジャックの生い立ちは壮絶だった。幼い頃に両親を惨殺し、司法の手で送致された更正施設の人間をも全員殺し、そうして数々の殺人を重ね、犯罪者として追われていたところを〈ジョーカー〉に拾われ〈ナンバーズ〉に入ったのだという。

 

「〈ジャック〉の戦い方の特徴は?」

「やつは小柄だ。そして素早い。気配を消すのもお手のものだ。あっという間に獲物の命を奪い去る——そんな感じの手合いだよ」

 

 ノフィの問いかけに、〈フォー〉はそのように答えたものだった。

 

「気配の消し方を、私はやつにすべて教わった。どうやったら暗闇の中へ完全に溶け込めるか。どうやったら殺気を覆い隠して獲物に気づかれないよう忍び寄れるか……狙撃手としての基本技術を叩き込まれた」

「〈ジャック〉も君と同じ狙撃手ってこと?」

「いや、違う。やつは手練れのナイフ使いだ。自分の手で獲物の喉笛を切り裂くのが趣味なんだよ」

 

 そう答えた当の〈フォー〉は長銃身のマスケット銃を担ぎ、建物の屋根から屋根を移動している。ノフィを掩護できる優位位置から〈ジャック〉らの気配がないか慎重に気配を探りにかかるが、しかし辺りは不気味なほどに静まり返っている。

 

「この状況、どう思う?」

 

 〈フォー〉は問う。

 

「待ち伏せか、あるいは罠か……」

 

 〈スリー〉が答えると、「同感だな」と〈フォー〉は言った。

 

「待て。あいつ、立ち止まったぞ」

 

 双眼鏡を手にした〈スリー〉が言った。ノフィが市場の通路で立ち止まったのだ。

 

「爆弾……トラップだな。迂回経路を選んだようだ。私たちも移動しよう」

「しかしありゃ、ひとつのトラップに引っ掛かれば連鎖爆発を起こして市場全体を吹き飛ばせるようにしていやがるな……非道なことを考えやがる」

 

 〈フォー〉の返答に〈スリー〉は舌打ちを洩らした。と、そのときだった。

 

「やぁ、二人とも」

 

 突然の声に〈フォー〉が振り向く。背後には——炎の照り返しで紅く染まった月をバックに〈ジャック〉が屹然と立っていたのだ。

 馬鹿な——と〈フォー〉は思う。いつ、どうやってこんなに近くにまで接近されたのか、と。

 〈フォー〉は狙撃の名手だ。どうすれば姿を隠すができ、どうすれば気配を消せるのか、熟知しているはずであった。それがどうであろうか。〈ジャック〉は〈フォー〉の想定を遙かに上回る技量で、裏を搔くような行動に打って出た。冷や汗が全身から吹き出す心地がした。まずい、ここまで近づかれれば狙撃も何もあったものではない。殺される——そう思ったからであった。

 

「なぁ、良いアイディアがあれば教えてくれ。裏切り者をどうすべきか、いま考えてるところなんだ。生きたまま目をくり抜くか、皮を剥ぐか……でも、その程度の痛みじゃ罰ゲームにもなんないよなぁ?」

 

 小柄な体躯、幼さを残す顔、少年のように短い金髪——そうした〈ジャック〉のあどけない見た目はしかし、いまは獲物の品定めをする猟奇殺人者の気配を纏っている。〈スリー〉と〈フォー〉は息を呑んだ。

 

「おっと! 抵抗しても無駄だっての」

 

 銃を向けた〈フォー〉の間合いまでひと息に接近し、〈ジャック〉は背後から彼女の身体を羽交い締めにした。首筋に当てられた刃の感触が、ひどく冷たく感じられる。

 

「〈フォー〉!」

 

 〈スリー〉が叫んだ。だが、〈フォー〉は〈スリー〉に目線だけで伝えていた。「はやく逃げろ」と。

 

「クソが! お前を置いて逃げられるかよ!」

 

 〈スリー〉は腰に隠し持ったナイフへ手を伸ばしつつ、逡巡する。どうする? 相手は〈ジャック〉だ。まともに戦って勝てる相手ではない。しかし、このまま事態を座視していれば〈フォー〉が喉笛を搔き切られて殺されるのは火を見るより明らかだ。

 

「……逃、げろ……お前だけでも、助かるなら……命なんて、惜しくはないさ……」

 

 悲痛ともいえる声音で〈フォー〉が言った。

 

「泣かせるねぇ、美しい友情ってやつだ」

 

 冷酷な笑みを浮かべた〈ジャック〉が言う。感情なき冷酷な笑み——そういった表現がふさわしいような顔を彼女は浮かべ、羽交い締めにした〈フォー〉の首筋にほんの少しだけ、ナイフの刃を沈めていった。

 

「ぐっ……!」

 

 〈フォー〉が苦痛に顔を歪める。ひとすじの血が白い首筋を伝い落ち、〈ナンバーズ〉謹製のメイド服に染みをつくる。〈ジャック〉はその血を舐め取り、「良い血してんな、お前。ま、良いモン食わせてやってたからなぁ」などと言ったものだった。

 

「そこまでです」

 

 唐突に声が響いた。同時にドンッという音がして、〈ジャック〉の小柄な身体が宙を舞った。拘束から解放された〈フォー〉がその場に倒れ伏し、一方の〈ジャック〉は屋根の上にある煙突めがけて激突した。

 〈スリー〉には何がなんだかわからなかった。いま一体、何が起きたというのか——。しかし彼女は、その理由をすぐさま知ることになる。

 

「後衛の裏に回られるとは……まさしく裏を搔かれました。済みません。私の油断です」

 

 〈フォルセティ〉がひとり、ノフィーナ・デ・タルトが、〈スリー〉をかばうようにして〈ジャック〉の前に立っていた。その両手にはそれぞれ二刀の小振りな剣が握られている。普段の大人しそうな雰囲気とは一変し、いまのノフィは全身から『気』とでもいうべきオーラを纏っていた。

 

「さあさあ、はやく立ち上がってください——〈ナンバーズ〉幹部の実力がどの程度のものなのか、実際にこの目で確かめたいので」

 

 そう言って、ノフィは〈ジャック〉に剣先を向けた。

 

 

 

 

~~~

 

 記憶の海をたゆたうような心地だった。時間の感覚さえない中、さまざまな記憶が意識の中に流れ込んだ。祖国での日々の記憶、ファルテシア王国での日々の記憶、夫と過ごした日々の記憶、娘と暮らした日々の記憶——そして、堪えがたい別離の記憶。

 カエデ——と娘の名前を呼んでみれば、もうそばにいない娘のことを想い、悲嘆にさえ暮れた日々の記憶が蘇ってくる。あのときは身をふたつに切り裂かれたような心地だった。

 自らの半身といってもいい愛娘を手放さざるを得なかった、あのときの悔しさ。どうすることもできなかった自分自身の無力さ。それらを忘れ去るただそれだけのために、常軌を逸した鍛錬を自らに課した日々の記憶が蘇った。

 海の中を揺らめくようにたゆたううち、海面から目映い光が差し込んでくるような感触を覚える。身体全体が浮かんでゆき、浮かんでゆき、浮かんでゆく。そうして光は次第に強くなり、やがて——。

 

「カエデ!」

 

 そう叫んで、モミジはベッドから身体を起こした。同時にはらわたを引き裂かれるような痛みを覚え、想わず呻く。胴に巻かれた幾重もの包帯から、じわりと鮮血が滲んでいた。

 

「まだ動いては駄目だ、モミジ」

 

 傍らから声が聞こえた。モミジの愛弟子——アヴリル・メイベル・レディントンの声だ。

 

「私は……一体……」

「〈ジョーカー〉に斬られたところを救出した。死にかけていたんだぞ」

「ここは……」

「ロンドン塔だ。とにかくいまは安静にしていろ。動くと、死ぬぞ」

「〈ナンバーズ〉は……」

「〈フォルセティ〉とマージョーリー、クリス、仮ライセンス持ちの生徒たちを対応へ当たらせている。死にかけのお前が気にすることではない」

 

 と、そこでモミジは顔を上げる。はっと何かに気づいたように。

 

「……カエデは?」

「ノフィの班に随伴させている。……まさかとは思うが」

「……アヴリル、いますぐ刀を持ってきて。〈檮杌(とうこつ)〉〈窮奇(きゅうき)〉〈饕餮(とうてつ)〉〈渾沌(こんとん)〉——四つ全部よ。カエデの掩護に行かせて頂戴」

 

 アヴリルが目を丸くする。しかし、モミジは構わずに続けた。

 

「母親のエゴってやつかしらね……。あの子が危ない目に遭うのを、やっぱり黙って見ていられない……拾った命を捨てる結果になるのだとしても、母親として、後悔はないわ」

 

 さあ、刀をはやく——モミジはアブリルを見据え、そう言った。

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